バベットの晩餐会/ガブリエル・アクセル

「ハレ」の食事と「ケ」の食事。そのどちらも魅力的で、どちらも心を打つモノがあることを教えてくれる映画。その力強さに、私は一人息を飲む。「おいしい」ただそれだけのことが、こんなにも心を打つ。その力強さを、改めて一人かみしめる、そんな映画だ。

機能美、使い込んだ道具の持つ美しさを思い出させる映画。しっかりした作り。抑えたトーン。青、緑、黒、白、それらの色調が心に残る。静かな漁村で暮らす二人の姉妹。父の跡を継いで教会を守り、質素に、慎ましく暮らしている。そこに訪れ、その姉妹に心惹かれるモノたちがいる。それでもやはり旅立っていく。毎日繰り返す単調な代わり映えのしない暮らしに、少しだけうんざりして。去る者に浮かぶ顔。退屈を知った顔。少しばかりの失望を覚え去っていく顔。顔。顔。

パリから逃げ延びてくる、物語の主人公バベット。パリのレストランで華々しい料理を作っていた彼女。姉妹は彼女を受け入る。それでも、やはり毎日は変わらない。特別なモノはいらない求めない。それをバベットは引き受けて、黙って毎日の食事を出していく。バベットの作るつましい食事。何も語らず。それでも、その手腕、裁量はきらりと光らずにはいられない。毎日を切り盛りするモノのたくましさ賢さ強さが、私は好きだ。それは村人や姉妹にはない強さ賢さ美しさ。腕一本で生きてきた、職人の持つそれだ。

突然物語が輝きを放って、流れはじめる。バベットに宝くじが当たる。そのお金で、晩餐会を開くという。牧師の生誕百年の晩餐会を、バベットが思う存分腕を振るうというのだ。いよいよ私を何度も興奮させる「ハレ」の食事。クライマックスへ。

ウミガメやウズラやワインが、続々とバベットの、姉妹のもとに届く。ワクワクする。そのただならぬ様子に、村人も姉妹も「何が出てきてもいっさい料理の話をしない。そして料理を食べた結果、死んだとしても、それが神様の意志だ」と、互いに言い合う。その慌てぶりも微笑ましく笑いを誘うのだが、姉妹も、村人たちも、見て見ぬふり。何かが起こっても起きなかったこと。それを美徳と生きているのが分かる。村とは、そこに生きるとは、そういうことかもしれない。
 
さあ晩餐会。バベットの作り出す芸術の数々。花開く料理たち。匂い立つワインの数々。おいしそうを通り越して、うっとりさえする。ため息が漏れる。何も言うまい、感じまいとしていた人々の、心が、口元が、ほころびはじめる。隠しても隠しきれない。誰にも止められない。止めることなどできないのだ。

顔が変わる。誰も彼もその顔が輝きはじめる。喜びを知った顔。思い出した顔。顔。顔。「おいしい」ただそれだけのことが、長年狭く凝り固まった人々の心を解きほぐしていく。つましい暮らしの影で行われていた、数々の裏切りや諍いが溶けていく。「おいしい」が、楽しみを遠ざけ、生きることを遠ざけるかのようにしていた人々の息を吹き返す。ワインに心地よく酔い、千鳥足での帰り道、誰からともなく、沸き上がる「ハレルヤ」の大合唱。ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。手を取り合い空に向かい、ただあふれるモノを空に返すかのように。

ああ。今、あなた達は心から幸せなんだね。

本当に人の心を打つというのは、とても単純なことかもしれない。何を知っているとか知らないとか。何を知りたいとか知りたくないとか。そんなことなどどうでもいい。

今、深い憂鬱に捕まっているアナタ。それでも「おいしい」の力に気付いてしまったアナタ。私はアナタの力を信じます。そして私の力を信じます

バベットの晩餐会 [DVD]

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