相変わらず、田辺さんの書く女はかわいい。

ほどらいの恋―お聖さんの短篇 (角川文庫) 「ほどらいの恋〜お聖さんの短編」田辺聖子著を読む。 「ジョゼと虎と魚たち」の原作を読んで以来、田辺さんの紡ぐ大阪弁の愛らしさと、食べ物の描写の達者さと、どこか憎めない男とその男を甘やかす女の書き方があったかくて、ファンになった。時々文庫本を購入して眠る前にページを捲る。


相変わらず、田辺さんの書く女はかわいい。


かわいいなあ。と、思うのだけど、こんな女をかわいいと思ってくれる男はどれぐらいいるのかしらん?と考えて暗澹たる気持ちになったりもするけど。同時にまあいいやとも、思ったりする。わからない男はそれまでで。こんな女をかわいいと思ってくれる男がいたら、そうしたら、仲良くなれば、それでいいじゃんと。そんなことを思ったりする。

 やさしい訴え (文春文庫) 「やさしい訴え」小川洋子著を読む。いかにも小川洋子が書いた小川洋子らしい物語を堪能した時間だった。あまりにも彼女の描く彼女の世界だった。美意識と言えば良いのか自意識と言えば良いのか、が、密生しているような一冊で。その、閉じたような、むんとした湿度の高さに軽い吐き気のようなモノを覚えながら。それでも、しばし、その世界に耽溺する。


少し的外れな感想になってしまうかもしれないけれど。「嫉妬」といモノは、いつだって小さくって愚かしくって、やっかいで。だけどだけど、どうにもならねえんだなあ。と、相田みつをのような一言で、感想を締めくくる。だってねえ、にんげんだもの。おとこだもの。おんなだもの。おとことおんなだもの。いきているのだもの。

三面記事小説 「三面記事小説」角田光代著を読む。実際に起きた事件の新聞記事から発想したいくつかの物語。角田光代という人は、同年代特有の引力を持っているなあといつも思う。ダメな人。ダメな女。ダメな男。を書かせたら生き生きするのだなあと思う。そして、そんな彼女の小説を読む度に、自分の中にオリのように溜まっていく、浄化しがたい何か、人には知られたくない何か、そんなコトドモをこれほどまでに明白の元に晒すということをしなくては、小説というものは書けないのかなあと、半ば、敗北感に近い気持ちで読んでいたりする。ええカッコしいの私には絶対にできないやと。


角田光代という人の小説を好きなのか、好きでないのかを考えると、いつも少しややこしい問題になる。だから、なるたけ考えないようにしているけれど「同年代」という括りをはずしても、やっぱり彼女の文章には独特の引力があるなあと、いつも思う。その引力に捕まりたくって、私は時々彼女の小説を読みたくなる。そして読む。



「永遠の花園」が、なんと言っても真骨頂という感じだった。ある年代特有の、女の子同士の間にある、濃密な空気がそこにあった。何にもなれないような。どこにも行けないような。あの頃の息苦しさが真空パックされたみたいに、そこにあった。もう随分昔にそこから抜け出したはずの私だったのに、簡単に捕まって、簡単にまた息苦しくなってた。