自分が引き受けて、その人に代わって矢面に立つということ。

  
謝ることの難しさを思う。


謝るという行為にスムーズに辿り着けないとき、それはやっぱり「自分かわいさ」なのかな?と思う。その「自分かわいさ」なのかな?ということに思い当たったのも、実はついさっき。たった今のことなのだから。わたしってやつは、なかなかに頑な人間なんだと思う。

お願いした仕事を受けてくれたヘルパーがいるということ。
それを「ついうっかり」行かなかったということ。


それを知ったとき、わたしはまずわたしの怒りやがっかりや残念が先行してしまっていた。そのヘルパーを責める気持ちでいっぱいだったのだ。

夜中になって、まだ夜のご飯も食べてないと家族に助けを求めた利用者さんがいたということ。
急いで駆けつけてご飯を出しながら、やるかたない気持ちになっていた家族がいるということ。


まずはそのことに、会社の人間として、そのヘルパーの上司として、心から「申し訳ない」と頭を下げるべきだったのだな。そのヘルパーに仕事を任せているのは、わたしだから。謝るということは、決して万能ではないけれど。謝ってもらったということでしか、納められない気持ちもあるのだから。


ひとりのヘルパーが起こしたミスを、心から自分の責任と感じること。自分が引き受けて、その人に代わって矢面に立つということ。難しい。難しいけれど、きっと今のわたしの立場なら引き受けていかなければならないことなんだな。


できるのかな。果たして、わたしにできることなんだろうか。これからのわたしは「引き受ける」ことを身につけていけるのか。明日には明後日にはその先の毎日には、ちゃんとできてる自分になれるのか。と、他人事のように思ってしまうんだけど。

他人事のように思うだけじゃなくって。ちゃんと眠って明日になったら、ちゃんとやろう。やらなくっちゃ。って、自分に言い聞かせないと、いつまでたってもできないわたしの情けなさを、今夜は笑って許してやってください。嗚呼!