西荻夫婦/祥伝社/

makisuke2001-04-28


西荻夫婦 (フィールコミックスGOLD)

西荻窪に暮らして十年目。引っ越し一回、洗濯機は二台目、彼と暮らして八年目。パソコンは三台、猫は一匹、結婚してからは四年目になる。

「遊びに行ってもいい?」そう言って彼は私の部屋にやってきた。それから毎日、律儀に彼は同じ言葉をくり返し、私の部屋にやってきた。「遊びに行ってもいい?」「遊びに行ってもいい?」

私たちの行動範囲は、とても狭い。代わり映えのしない毎日をなぞるように暮らしている。お休みの日は、川沿いを散歩して、ご飯を食べて、昼寝をする。本屋に寄って、珈琲を飲んで、ビデオを見る。この西荻窪という街で、二人でずっと暮らしている。

互いの両親との付き合いも、お歳暮のやりとりも、ゴミ出しも、あらゆる事がままごとの中の出来事のよう。経木に包まれたお魚にときめくのも、150gのお肉の包みを受け取るのも、八百屋のおばちゃんに顔を覚えられるのも、ままごとの中の出来事みたいで、少しだけ実感がない。「普通」という名の宝物探しをしているだけかもしれないな。

当たり前のことが、私にとっては、未だイベント。ささいなご褒美。小さな探検。
 
私たちは友達が少ない。友達と言えるのは、妹たちと、昔の彼。そして一番の友達は、やはり彼なのである。一人で暮らすことなど、考えられない。一人で歩くことも、考えられない。大概のことは何となく、緩やかだけれど伝わってしまう。

一緒にいて何してんの?時々聞かれる。何しているのだろう?話すわけでもなく、話さないわけでもなく。何かに打ち込むでもなく。何処かへ行くでもなく。「仲いいよね」「うらやましいよ」私たちを知る人は大概こう言う。うらやましいねと。私もそれには異論はない。ただ、二人、同じような毎日を同じように繰り返してる。私はそれを上手にやり過ごせる日と、少しだけやり過ごせない日がある。ただそれだけ。そんな私が、うらやましいのかな?

ときおり 深い不安がおそってくるとしたら それは一人になる淋しさというよりも たとえば 次に再確認するとしたら 死という場面しかないのではという 肉親のような お互いの他人度がうすれてしまう日々がくること 一人になると二人を感じる 良かった まだ私たちは他人だ


何も約束のないところから始まった、二人の暮らし。唯一の約束事が「結婚」だったのかもしれないな。とにかく四年前、お互いの親戚縁者をごちゃ混ぜにして、結婚をした。ただそれだけ。それまでも、それからも、私たちは変わらずに暮らしている。家を買うわけでもなく、子孫を残すわけでもなく。

私たちは変わらないために「結婚」が必要だったのかもしれないな。変わらず私であるために、私は彼が必要だった。少しばかりの憂鬱さえ、二人で味わうのは贅沢だ。彼は私が私であることを何処までも許してくれる人だから。

わたしたちの両親に対してうしろめたく思っている。わたしたちのために確実に、自分の時間を費やしてくれた人たちにもらった時間を、わたしたちときたら、まるきり自分たちのために使っているのだもの

時折、確信めいたリアルな想いがアタマをジャックする。二人の悲しい結末を。ノーミソの記憶だろうか、予感だろうか、妄想だろうか、それとも憧れだろうか。一人彼を想って涙する。あなたを感じて、境界線さえ曖昧になる他人のあなたを想う。

「幸せ」と「不幸せ」にはどれほどの距離があるのだろう。私には一緒。やまだないとの「西荻夫婦」は、私たちにそっくりで、でも全く違う夫婦の話。おんなじような道を通って、おんなじような店による。何処かですれ違っていたかもしれない、夫婦の話。

一人で歩く事なんて考えられない夫婦が、ここにもいた。いろんな後ろめたさを抱え、それを少し贅沢に感じている夫婦が、ここにもいた。いろんな淋しさを抱え、それでも手をつないで、腕を組んで歩く二人がここにもいた。

                  2001-04-28/巻き助