悪人/吉田修一

悪人(上) (朝日文庫) 悪人(下) (朝日文庫) さよなら渓谷

吉田修一の「悪人」を読む。「さよなら渓谷」を読んだ頃から、ぐんと気になる作家になったこの人。そして、昔から「犯罪」というモノの裏側にあるモノを知りたいという興味が尽きないわたしである。「ある一線」という境界線を越えてしまう人と超えずにいる人の間の、相違点や類似点はどこにあるのだろうという探究心が尽きないわたしでもある。たとえそれが、あくまでもその作家が作り出したひとつの仮説にすぎないとしてもー。



「悪人」は、この11月という季節に似合う話だったかもしれない。どんよりとした、はっきりしない天気が続く。うすら寒いなあと感じる。全うな冬に入っていく手前の、定まらない季節。ぐずぐずとした空模様をなぞるように、わたしの目覚めもなんとなくぐずぐずとなる。夕べ確かにあった、わだかまりや疲れが、まだぐずぐずと同居していたりする。そんな時、読み終わったばかりの「悪人」が、わたしにべとっと張り付いてくる。


「祐一」をおもう。彼は、賢い人だとおもう。賢くならざるをえなかった人だと。その彼の、役割として担った賢さをおもう時。わたしはひたすら切なくなる。生まれもっての「役割」を、ひっそりと引き受ける彼は、人間としてとても賢くあるのだけれど、その賢さは、決して彼を幸せにはしてくれないのだなあと。賢いはずの彼が、賢さを忘れて、無邪気に愚かに「欲しい」「手に入れたい」とおもった人は、行方も告げずに逃げていく。そのときの彼をおもう。そしてやっぱり、わたしはひたすら切なくなる。


読み終わって、動かしがたい結末に辿り着き、やはりぐずぐずと気持ちは晴れない。無邪気に愚かに「欲しい」「手に入れたい」とおもったであろう「光代」は、それが叶わなくなってしまった今、生きていることに実感があるのだろうか。それでも生きていくことに、何かを見つけられるのだろうか。彼女も賢さを身につけて、ひっそりと生き延びていくのだろうか。曇った気持ちを抱えたまま、どうすれば、この物語の結末が晴れ渡るのか、見当もつかない。


「祐一」と出会えた「光代」と、「祐一」と出会わなかった「光代」。わたしだったら、どちらの「光代」で、ありたいのだろうか。と、そんなことをずっと考えている。