ガープの世界/ジョージ・ロイ・ヒル

makisuke2002-02-21

ガープの世界 [DVD]
アーヴィングが好きで、ガープが好きで、ガープを取り巻く「ガープの世界」が大好きだ。そしてこの数日いうモノ、なぜアーヴィングが好きで、ガープが好きで、ガープを取り巻く「ガープの世界」が好きなのだろうと、そればかり考えていた。

誰かが言ってた、彼の書くモノは「安っぽい笑いと暴力とセックス」に満ちていると。そして、その救いのない出来事を突きつけてなお「これぞ人生」と言い切る、言い切ってあまりある力強さを持っていると。ああ。そうなんだ。その通りなんだよ。と、他人様のコトバで納得してしまう私というのも、情けないのだけれど、つまりはそういうことなのです。

私は、アーヴィングが言い切る「人生」が「愛」が「人間」が大好きなんだ。彼に言い切られる度思うのである。虚弱体質の私が「人生ってスバラシイものなのだね」と、うつむき加減で思うのである。それだけは忘れてはいけないよと、胸に刻むのである。

だって私は生きているのだから。

死んでしまうのは面倒くさいとか、背中を押してもらえないからとか、いくらでも言い訳を用意してるけど、どうしたって動かしようのない事実。私は生きて人生を送っている。私は生きて他人の人生と関わっている。だから、この人生を「冒険」と「複雑怪奇だけれど実にシンプル」と、真っ正面から言い切るアーヴィングが大好きだし、その人生がぎっしりと詰まった「ガープの世界」が大好きなのだ。

そして、そんな理屈はさておいて、最初のシーン。あの冒頭のシーンを見て欲しい。ビートルズの「When I'm 64」が流れて、赤ん坊が青空をゆっくりと舞う。あのシーン。あの赤ん坊は透明な膜に包まれている。アナタにはあの膜が見えますか?ひたひたと込み上げてくるモノに、笑ってよいやら、泣いてよいやらいつも分からなくなる。きっと泣き笑いのような、ひどく情けない顔をしていると思う。そして、そんな情けない顔をしながら思ったこと。

愛ってさあ、与えるモノでもなくって、いただくモノでもなくって、自分のためでもなくって、相手のためでもなくって、誰のためでもないんだってコト。じゃあ。じやあ、愛ってなんなのよ?って、もしアナタがそう聞くのなら。私は胸を張って答えると思う。それは溢れるモノですって。もう誰にも止められないモノですって。お構いなしに溢れ続ける、枯れない泉。それがきっと愛なんだって。愛してしまうことは仕方のないこと。愛は溢れて溢れて止まることを知らないよ。

昔読んだおとぎ話を思い出す。海の底には石臼が沈んでいて、どんどん塩を吐き続けているってあの話を。目を閉じてそっと思いを馳せてみる。人間のココロの底の底にはきっとあの石臼が眠っていて、静かに静かに塩という名の愛を吐き出し続けているんだって。

だって人間は生きているのだから。生きて誰かの人生と関わっているのだから。

誰にも止められない、止めることはできない。それがきっとあの赤ん坊を包んでいる膜なんだ。そして、人間はあの膜に包まれて生まれてくるのだ。否応もなく。

最後にガープはもう一度空を飛ぶ。「I'm flying!」人生は複雑怪奇だけれど実にシンプル。いろんな符合に満ちていて、永遠に解けないナゾである。

だから今日の私は、なんてったって無敵である。誰になんと言われようと、私のもう半分がいじけていったて構わない。お構いなしに無敵である。ナゼって?

人間がたまらなく愛おしいから。
人間の顔がたまらなく愛おしいから。
人間が愛おしくて愛おしくてたまらないから。

そう、だから今日の私は全くもって、無敵である。