介護マシーンとしてのワタクシ

育児の世界にも、育児放棄という名の虐待があるように、介護の世界にも、やはり介護放棄という虐待があります。子供の場合もそうでしょうけれど、介護の場合も、介入できる線引きが難しく、厄介な問題ではあります。これから生きていく子供らと違って、お年寄りや病人に対し何処まで手厚く何処まで親身になって介護をしていくかということは、一口では言えない複雑な問題を抱えているようですし、常識や正論は、全く通用しない事も多々あります。この仕事をはじめて、本当に様々な人や家庭がある事をしりました。各々が各々の常識や正論を持ち生きているのだなぁと(もちろん、私も)。それを変えていく事など、不可能に近いのだなぁと。そして変えていくなんて事は、おこがましい考えに過ぎないのだなぁと。いつも感じるのは、ヘルパーという仕事の無力感。ですけど、その(所詮他人の人生には深く関われない)という無力感があればこそ、私が楽にこの仕事を続けていられるのだなと、思ったり。とにかく、私は私の時間が許す限り、その人を清潔に整えてあげて、痛みを出来得る限り取り除いてあげて、美味しく柔らかい食事をゆっくり摂らせてあげて、落ち着いてゆっくり話しかけてあげて、出来れば外の世界へも連れていってあげたいと思うのです。今の私に必要なのは、同情や思いやりではなく。むしろマシーンのようなテクニックだと、思うのです。