介護マシーンとしてのワタクシ

 
水曜日の午前に担当していた仕事が終了し、次に担当する方が退院してくるまで、しばしの午前休み。洗濯機を回して、ガスコンロをを洗って、猫のトイレを片づける。屋上に上がって洗濯物を干していたらば、富士山がくっきりと見えました。それにしても逝く(行く)人あり、来る人ありのこの仕事。引いては寄せる波のように、仕事は途切れる事がありませんし、毎日同じという事ない。だから毎日新鮮に仕事に向かってゆけるのだろうなと実感してみたり。そもそも人が亡くなるその瞬間まで立ち合いたいというのが、私のささやかで密やかな希望であったわけで、その希望を叶えるという意味においても、この仕事を続けておるようなわけなのですね。そしてキレイゴトでもなんでもなく、私はお客さん(もしくは患者さん、利用者さん)に恵まれているなぁと思う今日この頃。シアワセです。

そして昨日の話。認知症*1で、ほぼ寝たきりのおばあさん宅を訪問しまして(座らせて寄り掛からせれば座位の確保は可能)、前身清拭、陰部洗浄、オムツ交換、薬塗手伝い*2を終え、食事を作りミキサーにかけ、とろみをつけてひと匙ひと匙口に運んでいたわけです。メニューは卵粥、南瓜のペースト、じゃが芋のポタージュ、とろみをつけたお茶(200cc)、とろみをつけたオレンジジュース(200cc)。一時食欲が落ち、水分も上手く取れず脱水症状を引き起こし、目はうつろで声掛けに反応もなく衰弱していた彼女だけど、こうやってスプーンを口元まで運ぶと、口を開けモノを飲み込み咀嚼し嚥下するまでには回復してくれたのですね。一時の生命維持が危ぶまれた状態からは脱出してくれたようです。食欲もだんだんに出てきたみたい。この家の家族(…。)はともかく、こうやって担当ヘルパーや担当医ケアマネージャーデイサービスの方の連携でヒトリの人間の命を(とりあえず)消さずに済んだという事は、とても嬉しい事。とにかく嬉しい。

そしてこの彼女は、敬虔なクリスチャンだったのだそうで、家の中には聖書のコトバが所狭しと貼ってあるのですね、それを私が彼女の耳元で読んでみました。何かの刺激になってくれればと。すると、誇張でもなく錯覚でもなく作り事でもなく、本当に。聖書のコトバに彼女の目が輝いて、普段は力なくだらりと垂れ下がっている彼女の腕が上がって、胸の所までいき、しっかりと両の手を組み目を閉じ祈る形になったのですね。その形は美しかったのですね。特定の神様を持たない私だけれど、信仰について考えさせられる、出来事でした。いい日でした。

*1:旧痴呆症、しかしなんだ認知症って呼び名は!

*2:国の決まりで、ヘルパーが塗っていても、塗ったと明記すると法に触れるのだと、あくまでも補助とか手伝いって表記しないとまずいんだと、現場はどうあれ、ってなんだそれ!