介護マシーンとしてのワタクシ

makisuke2005-05-11

本日から以前ワタシが担当していた患者さんが帰ってきまして、新たなサービススタートとなりました。重度の精神病を抱える彼、ヒトリでは食事はおろか排泄も身体の向きを変える事も出来ないのだけれど、病気によって奪われることのない、彼が生まれながらに持っているであろう「威厳」のようなモノが感じられて、ワタシはこの人がとても好きなのだ。彼は、いわゆる暴力行為もあるし、出された食事には全く手を付けないし、会話は成立しないし、難しい人ではあるし、いわゆる問題人扱いを受けたりもするのだけれど、ワタシはどうしたって(理由が上手く説明できないけれど)彼から目が離せない。側にいたい、担当したいという気持ちは揺るがない(もう、彼を担当して五年が過ぎた)。度重なる入院で少し痩せたみたい。これからは自宅に帰って少し落ち着いた暮らしが出来ると良いなと思う。

そしてワタシはどうしても介護度が高く、コミュニケーションも図りづらく単独では日常生活が営めない人や重度の精神病を患う人なんかを、担当するのが好きなのだな。そういう人を殊更美化するわけではないし、介護度が軽く生活援助(家事全般や話し相手)を求める人を軽視するつもりもないのだけれど。やはりどうしても、そういう人の佇まいには美しさを感じてしまうし、無駄なモノを削ぎ落とした姿のように感じてしまう。そういうヒトをみていると、ワタシはなんてうるさく生きているのだろうと感じてしまうし。彼らのお世話をするという事は、ワタシの静かな時間を取り戻す時間であり、自分が面白いように振り回される体験であり、自分と向き合う時間であったりもする。自分のやりよう、ありようが全く通用しないという、面白さ。ただ相手と呼吸を合わせるというだけの、難しさ。積み重ねでもなく、ただその時その時という潔さ。そういった総てがワタシを惹き付けて止まないのだな。そういう人達の傍らで、体を洗う手伝いをしたり、排泄の介助をしたり、食事をひと匙ひと匙口に運んでいたりすると、ワタシまで透けていくような時間がもてるのだ。