ちょっとムズカシイヨ。当たり前に笑って食べて眠ってセックスして生きていくのって

いがらしみきおは恐ろしい場所にたどりついたものだ。中条省平」と、帯のコトバにもあるように、確かにスゴイ、スゴスギル作品かも。「ぼのぼの」を捲った事がある程度しか「いがらしみきお」を知らないひとが読んだら、度肝を抜くかも知れないけど。この恐さは「ぼのぼの」の中にも「三歳児クン」の中にも確かに流れていた、部分だと私は思う。笑うことは、恐がり脅え恐れるコトと、とても近いもしくは常に張り付いてくる影のような存在なんではなかろうか?だから古谷実が「ヒミズ」を書いたように、「いがらしみきお」が「Sink」を書いてしまうのも、うなずけるような。

カラダにまとわりついてくるような、不条理で訳分かんない漠然とした空恐ろしい空気感って意味では、一巻を読み切った時の方が凄かったけれど。一、二巻通して読んだ気分は格別。けっして結末が種明かしになっていないと思う。読後感は、世の中に向かってコウベを垂れたくなるような気分とでも言ってみようか?人間の持つ原罪というヤツ?ソイツを刺激してくるような。

ワタシの中に眠るモノを起こしてみたくなるような、起こしてみたくは決してないような、カラダの内側が反応してくるような、そんな気分と言えばお分かりか?とにかく私たちは、もう既に狂って歪んでしまったこの世の中で、それでも何かにシガミツイテ、あくまでも水平に立っていなくっちゃいけないのかもしれない。もしくはブレーキの壊れてしまったこの世の中で、速度を落とさずに走り続けるしかないのかもしれない。バランスを崩し出したら、しゃがみ込んでしまったら、お終いなのかも。そんな脆い乗り物に乗り込んでいるだけなのかも。なんて。とにかく、こんなモノ書いてしまったら(読んでしまっただけでも)、ちょっとムズカシイヨ。当たり前に笑って食べて眠ってセックスして生きていくのって、と、ワタシは思うよ。

トンカツにやられる

二日酔いのAさんは、なにかがっつりとしたしつこいものが食べたいというので、トンカツを食べに行く。機械で切ったキャベツはまるで紙のような歯応えで、味気なかったです。夜は、トンカツが足を引っ張っていたので(胸焼け)沖縄そばであっさりと。昨日買ってきた生麺はなかなか、付属のスープも良いお味。蒲鉾の変わりにソーセージを入れて、葱をたっぷり刻んで、コーレーグースーを振りかけて食べました。