「クサマトリックス 草間彌生展」森美術館

森美術館草間彌生を見に行く。「クサマトリックス」。実は、生の草間彌生を見るのはこれがはじめて。もちろん、写真や映像では見たことがあるけど「生」の彼女(の作品)を、とにかく見てみたいものだよと、六本木へ。

草間も初めてだけど、ヒルズだってはじめての私。想像していた程の混雑もなく、修学旅行の学生や団体のお年寄りなんかが目に付く程度。私だって、たいした変わりがある訳でなく、お上りさんよろしく、辺りをきょろきょろ見回しながら歩く。看板看板をチェックしつつ、なんとか目当ての森ビルへ。例の回転扉は、さすがに封鎖されており、警備員が至る所で目に付いた。

展示場内に入って、まずは、あの有名すぎるぐらい有名な、赤い水玉の部屋が待っている。この部屋の真ん中に座って、ぼんやりしてみたいと何度思ったことだろうか。鏡が張り巡らされた中に浮かぶ、ぶよぶよした巨大な水玉のオブジェ。右も左も前も後ろも分からなくなる。迷路に迷い混んだような気分で、だけどちっとも心細くはなく、むしろ訳もなく気分が高揚してくる。ちょっとスキップでもしてみたいような。寝っ転がってずっと眺めていたい気分。ただ、難をつけるなら、蛍光灯や壁や天上の繋ぎ目なんかが、案外目に付く。もっと体内に入ったみたいに、全てぐるりとすっぽりと包まれてしまいたい。現実をやすやすと思い出させるもの達が、私のトリップを邪魔してくるのだ。邪魔されると何やら、この場がお手軽に再現出来る移動オブジェで、商業主義だなぁなんて思ってしまったりして。

続いての部屋に入るには、ちょっと並ばなくっちゃいけない。どんどん、と横入りをしてくる、ルール無用の爺婆連中に腹を立てたりせずに、じっと私の順番を待つ。順番となり、前へ進む。真っ暗な小部屋のようだ。係員が一瞬懐中電燈で足下を照らしてくれる。その光に目をやり、そのまま顔を上げると、もうそこは「水上の蛍」。真っ暗な中に無数の電球(らしき)が尾を引いて垂れ下がってる。本当にキレイ。ほう。と、大きな溜め息が出る。そろりそろりと足を進める。空中を歩いてるみたい。目はなかなか慣れようとせず。自分の足下があやふやで、前にも後ろに上にも下にも進めなくなる。上下左右、ぐるり360°宇宙のような、体内のようなこの空間。フルサトの「ホタル祭り」を思い出す。そうそう、あの時も何億っていう蛍に取り巻かれて、自分がすっぽり包み込まれているみたいな、空中に浮かんでるみたいな気分になったっけ。と、感慨にふけっていると、やはり後から入ってくるルール無用の先輩たちに、こづかれてしまう。もう少しここにこのまま留まりたいという思いも空しく、ずいずい進む。あっという間に、係員がこっちこっちと誘導してくれる。

次の部屋は、大きな花(岡本太郎とか、スペインのモザイクのタイルアートなんかを連想させる)のオブジェと、沢山の女の子をセロファンに描き、切り取り、貼り付けた部屋。「野にあそびにいこう。」可愛くてポップで明るくて。だけど皆凄い勢いで素通りしていくのが面白い。

と、ほんの30分足らずで終わってしまった小旅行。残念といえば残念。良かったといえば良かった。今日の展覧会を観る範囲では、私は写真や映像の方が楽しめたかもしれない。とにかく彼女のアートは写真映えするのよ。だからといって、草間彌生という人に失望した訳では、全くなく。これが世田谷美術館だったら、水戸美術館だったら、はたまたアメリカでだったら、と、想像してみたりする。もっともっとディープなモノが作れただろうにと。

そして彼女の世界は、やはり独占してみたいモノ。短い時間でもいい、一人だけのモノにしてみたい。ヒトリで、その作品の中に佇んでみたい。座り込んでみたい。寝ころんでみたい。膝を抱えて見てみたい。感じるでも、表現するでもなく、そこにいたい。ただ、その作品の中で呼吸してみたい。溶け込んでいたい。そう、思った。

森美術館でAへのお土産を買って帰る。組み立て式のおもちゃ「Pontiki」対象年齢六歳以上。と、お腹にチャックが付いていて、小人(帽子だけが見える作り)が入っている「バンロッホ」のブラックベアー。この頃の私は、熊に目がなくてね。