バーバー吉野/荻上直子/2003年/日本

その町の少年は皆、 同じ髪型をしていた…

映画館に置いてあるチラシを見て、これは見ねばと思った映画。同じ髪形(コケシのような、ドングリのような、とにかく乗っかってるって感じ)をした男の子達が、揃いの白いスモックを来て、レンゲの咲き乱れる草原で、何やら歌を歌っている風のチラシ。私の中の男の子ゴコロが、チクチクと刺激されたようだ。話によれば、監督の「荻上直子」という人も、男の子に生まれたかったとか。

映画自体は、少し期待外れだったけど。

もっと何でもない映画だと思っていた(それならばいいなと思っていた)のに、しっかり物語あって、その物語に私が今一つのれなかったのだ。少し説教臭いし、変なおっちゃんの発言にしても、お父さんの発言にしても、意味があり過ぎる。分かりやす過ぎる。だからなんだか中途半端な印象を受ける。脱力しきれていないように思ったよ。作り物だなぁと思ってしまう。男の子達もしっかり芝居をしていて、演じている感が強かった(特に主役の子が良くない)。だから、妙に物分かりが良かったし。それじゃあ私の愛する少年の定義に当てはまらない。男の子達の可愛さも今一つで、日本には良い少年映画がないなぁって、つくづく思う。

例えば私の少年の定義って、こんな風だ

自分を持て余してる。気持ちやカラダや家族や友達や、いろんなモノを持て余してる。その少年らしさ。そう、私にとって少年とは、いつも何かを持て余していて、役に立たなくって、所在なさ気で、不機嫌で、何だか茫洋としてるモノ。私の愛する映画の中の少年達は、いつもそうなの

ストーリーと関係ない所(林や草原を歩いている所や、川で石を投げている所や、床屋にザクザクと集まっている所なんか)は、結構好きだったけれどね。キューティクルたっぷりの「吉野刈り」も見事だったし。みんなでエロ本を眺めている(そのエロ本がガピガピしている)所とか、秘密基地に集まる所とか。ちょっと女の子が気になる所とか。もっとそういう、いとしい(なんでもない)もわもわする場面を繋ぎ合わせたような、それだけの映画だったら良かったのになって。そんな事を思いながら見てた。

それでも、もたいまさこの演じる吉野のおばちゃんを見ていたら、私の母親(仲ちゃ)を彷彿させられて。悪い人ではないし、もちろん良い所もいっぱいあるんだけど。思い込みが激しくって、押しつけがましくって、影響力があって、自分なりの信念があって、まさに「吉野のおばちゃん」で。私の友達にもちょっと恐れられていたっけか。姿形だって似ていなくもない感じ。

そして、私たち姉妹は子供の頃、やっぱり母親にアタマをカットされてたの。みんな母親床屋のだったの。揃いも揃いの「仲ちゃ刈り」だったの。ビニールでできたブーケみたいなものを被らされて。庭に椅子を出してきて、ハサミとスキカル君であっという間に、こけし風に仕上げられてたの。そんな事を思い出した。だから、ちょっと違った意味でノスタルジックな気分になってしまいました。

私はいわゆる女の子だったけど、秘密基地(緑の基地、エーデルワイスの丘)は、やっぱり持っていて。エロ本は読まなかったけど、妹達や従兄弟達とつるんでいたっけな。訳もなく集まって、遊んでいたっけな。あの基地は、今はどうなっているんダロウ?今度フルサトに帰ったら、きっと覗きにいってみよう。そんなことを考えながら、帰途についたよ。