ブラフマンの埋葬/小川洋子/講談社/2004年

ブラフマンの埋葬

ブラフマンの目をできるだけ長く見つめていたくて、僕はいつまでも喋っている。

まだ途中なんだけれど、小川洋子の新刊「ブラフマンの埋葬」を読んでいる。電車の移動時間しか時間がとれず、じりじりとしか読み進められなくて、もどかしいけれど。それでも、そのもどかしさがこの本にはぴったりとはまって、とても良いような気がする。物語は「ブラフマンサンスクリット語かなんかで、謎という意味らしい)」という名前を持つナゾの生き物を介抱し、飼っていく「僕」の話なんだけれど。おそらくカモノハシかなんからしいその生き物(水掻きとヒゲを持っていて、しっぽがたっぷりあって、短い毛に覆われていて、水が大好きなんだから)の可愛らしさが、たまらない。

今度は齧りたい欲求が渦巻いてきた。引き出しの角は格好の餌食となった。洗面台の角、本箱の角、扉の角、彼にかかれば齧れない場所などなかった。ソファーの角は布製なので更に悲惨だった。

小説を読む楽しみのヒトツに、少しずつ目が開くように物語が見えてくるというものがあると思う。最初は靄がかかったようだった、登場人物の顔形や住まいや背景が、頁を捲るごとに、はっきりと見えてくる。はじめ「僕」とだけ書かれた主人公は年齢も姿形も性格も分からないけれど、だんだんに目鼻がついて、喋ったり歩いたり、モノを食べたり、悩んだりし始める。「ブラフマン」とてそうで、謎謎謎に満ちていた負傷した生き物が、だんだんに姿形が立ち上がってくる。可愛さを伴って。とにかく私の読む速度で物語が立ち上がっていく。そこがいい。幸せだなぁと思ってしまう。この本は特別にそんな私の楽しみを満足させてくれてるみたい。ゆっくりゆっくり世界が立ち上がっていくのを感じるから。

考えている時のブラフマンが僕は好きだ。普段落ち着きのない尻尾も、思慮深くゆったりとしている。眉間によるT字型の皺はりりしくさえある。チョコレート色の瞳は静けさで満たされ、僕には見えないどこか遠くを見つめている。愛らし過ぎて、悲しくなる。

そして小川洋子さんの文章というのが、といてもいいのだ。ちょっと書き留めてしまいたくなるし、口の中でいつまでも転がしていたくもなる。ぎゅうっと気持ちの込められた、密度の濃い文章にたくさん出会える。

芸術家たちの手が苦悩している間、僕はガスレンジを磨いている。車庫のペンキを塗り替えている。落ち葉を集めて燃やしている。僕の手は何も作り出さない。

この本も妹(ヒト様・三女)http://d.hatena.ne.jp/makisuke/20040518#p1に薦めたいなぁ、プレゼントしたいなぁ。そう、思いながら、また次の頁を捲っている所。