newsより

makisuke2004-09-05


ロシアの事件の続報が続々と届く。日々更新される犠牲者や死者の数に、言葉を失ってしまう。小さい子供までが犠牲になるなんて。テロは許されない。という、至極もっともな発言はさておいて、民族同士の衝突は、呑気な日本人である私にはうっかり口を挟む資格がないように感じてしまう。もちろんこんなことは起こって欲しくはないのだけれど、根の深さや複雑さを思うと、やはり口が挟めない。ただ祈りを込めて、傍観するばかりだ。

それにしても、新聞を飾る報道写真。その迫力と生々しさに、不謹慎を承知で見入ってしまうこともしばしばだ。朝夕に新聞が届く度、目を奪われてしまう。こういう写真には力がある。ニュース番組よりも文章よりも、一瞬で飛び込んできて鷲掴みにして捩じ伏せる力がある。そしてー誤解を恐れずに言うならばーその、美しさにも見入ってしまう。極限の状態のはずなのに、伝わってくるのは「生」そのまのだ。写真の中から、生きたい。生きてる。が、私に直に伝わってきて、誰しもの「生」が、誰によっても奪われず、ただそこにあり続けて欲しいと思うばかりだ。

2年前に、Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)で見た、セバスチャン・サルガドの写真展*1を思い出した。 アフガン難民、クルド難民、パレスチナ難民、ベトナム難民、旧ユーゴ難民、ルワンダ難民、国境を越えてメキシコからアメリカへ渡ろうとする密入国者、地方からの移住者であふれかえるメキシコシティサンパウロのスラム、マニラの貧民街……。悲惨なはずの写真の数々が、あまりに美く、構図も見事で、まさに絵のようだった。それを眺めている自分が不謹慎ではないか?と、少し後ろめたく感じてしまうぐらい。それでも、きっとサルガドは写真家として、難民達や悲惨な現場をを最大限美しく撮ったのだ。それが彼の仕事なんだ。と、勝手に納得をして、写真展を写真を心ゆくまで眺めたことを思い出す。見てよかった、見ずにおかずによかった。と、思ったことも。終いには、ただただその美しさにみとれていたことも。