モンスター/パティ・ジェンキンス

makisuke2004-11-01

実存の女性連続殺人犯、アイリーン・ウォーノスの半生の映画化。ということで、C・セロンが大幅増量と特殊メイクで美貌を封印して臨んだということが売りになっているらしいこの映画。「大幅増量と特殊メイクが売り」という所に引っ掛かって、観に行こうか?どうしようか?と悩んでいたりだけれど。とうとう今日観てきました。わざわざ醜く化けるということは、どうなんだろう?やり過ぎじゃないのかな?結局演じる方の思い上がりではないのかな?アイリーンを冒◯しているのじゃないの?結果、惨めな映画になっているのじゃないのかな?などなど、思っていたのだけれど。

この映画は惨めな映画ではありませんでした。むしろ、アイリーンの中に誰にも踏み込むことの出来ないような、誇り高さと孤独を感じて、それがひしひしと伝わって。胸が熱くなった。「大幅増量と特殊メイク」は、良い意味で気にならなかった。もしくは、それを手に入れたことによって、シャーリーズ・セロンがのびのびと演じているようにも見えた。何も足枷が無いかのように、粗暴でだらしなく格好付けで不器用でぶっきらぼうなアイリーンを見事にスクリーンの上に浮き上がらせてくれた。そして、クライマックスに進むにつれ(数々のヒロインがそうであるように)きちんとアイリーンが美しくなっていったのが、嬉しかった。もう引き返すことの出来ない世界と引き換えに、彼女は本当に本当にキレイだった。

男は懲り懲り。男の考えていることなんて、お見通し。男なんてクズばっかり。と豪語するアイリーンが、セルビー(クリスティーナ・リッチ)の前では男然として振る舞うのが、なんとも切ない。彼女はセルビーの前で、知らず知らずに理想の男のように振る舞っている。彼女はセルビーの中に、かつての自分を見ていたのかもしれないな。夢見がちで世の中が自分に好意的であると疑わなかった頃の自分を。だから幼い彼女の無邪気で残酷な欲望も、満たしてあげたかったのだ。叶えてあげたかったのだ。何もかも。そしてその幼い彼女を愛するという気持ちに、そう決めた自分の気持ちに、すがるしかなかった彼女が切ない。

例え正解でなかろうと、アイリーンは自分の仕事(娼婦)や殺人にきちんと対峙していた、対峙することで、自分の誇りや信念を保っていた。その彼女がバランスを崩していく。罪や罰は、きっと誰かが与えるのではなく、自分がその荷物を抱えきれなくなった時に、自分自身を食い殺していくんだ。もちろん救ってくれる人などいるはずもなく。孤独な魂は何処までも孤独にすがるしかなく。

「モンスター」は何も恐ろしい姿形をしているとは限らない。とても無邪気で純粋な姿形をしていることだってあるかもしれない。アイリーンにとって心から愛すると決めた相手、セルビーがモンスターだったのかもしれないけれど。そのモンスターを育ててしまったのも、アイリーン自身だ。これはすべて彼女の書いた筋書きだ。そう言ってしまうのは、残酷なのかもしれないけれど。アイリーンのあまりに孤独で誇り高い魂そのものが引き起こした、悲劇なのだと思っている。