白蛇教異端審問/桐野夏生

白蛇教異端審問
桐野夏生のコラムとエッセーとショートストーリーと書評とタイトルにもなっている「白蛇教異端審問」が詰まった一冊、読了しました。書評は面白く、一気に読んだ。感情でブレないクールな書きぶりは読んでいてすーっとしてくる。ローレンス・ブロックの何冊かと「ここがホームシック・レストラン」アン・タイラーは、読んでみたくなりましたよ。かわってエッセーやコラムは、彼女の小説同様息苦しさが伝わってくる。彼女の小説が彼女から生まれてくる必然を感じさせてくれる。リフジンや厄介事や釈然としない出来事を引き寄せて、取り込んで、それを消化(もしくは昇華)してエネルギーに変えて物を書くタイプの作家さんなのだろうな。問題の「白蛇教異端審問」に対しては、申し訳ないけれどピンと来なかった。それでもあとがきで、彼女自身があの論争は意味があったと言っているので、彼女にとってはそのとおりナンダロウ。誰にだって、空しい戦いと分かっていても挑まなければならない時があるものだもの。それはきっとその人にとって避けられないものだもの。

あとがきを読んでいると、小説を書くということは自分の中にもうひとつの世界を作り、それをとめどなく広げていくことである。とある。小説世界の現実と、今生きている現実。仕事が増えれば「小説世界の現実」が肥大していき「今生きている現実」は、蝕まれていくと。蝕まれたくないのならば、小説世界の現実を緩めていけば良いのだが、桐野夏生という人はそれが出来なかったとある。確かに彼女の日記を読んでいると、まさに命を削るように執筆している様子が伝わってくる。そして確かに現実の生活の場面は、精彩がない。誰かの書く食卓や食事にかなり目がない私だけれど、桐野さん家の食卓には、全く食欲を刺激されませんでした。やはり私は彼女の書く「小説世界の現実」にのみ興味があるようだ。「今生きている現実」は、どうであれ。