ハヤクヨクナリマスヨウニ

妹から小さな命の奮闘ぶりを耳にする。ネットの中でも小さな命の奮闘振りを目にもする。子どもを持たぬ、精神的虚弱児の私には、イタイイタイ、ツライツライ話。胸が張り裂けそうだ。側で見守り病院へと動き回る母親さんたちは、悲しい気持ちや辛い気持ちに浸る間もなく、まだ小さな彼らのために最善を尽くしている。頭が下がるし、ココロから尊敬もする。頑張って欲しい。良くなって欲しい。そして小さな彼らが、これから先のどんな小さな辛い目にも合うことなく育って欲しいと切に思う。出来ることならと。それが必要な痛みでも、当たり前の通過点でも、全部全部私がどけてあげたいと。本気で祈ってもみるのだけれど。

生まれ落ちた小さな命は、これからもたくさんの試練や苦難を経験して大きくなっていくのだろうな。私だってきっとそうやって育ってきたのだろうな。それでも、痛い目や辛い目や悲しい目や、そんなもろもろの目には合わせたくないと切に切に願い思わずにはいられない。そんなことを考えはじめると、フルサトの山と母親に感謝せずにはいられなくなる。遥か遠きフルサトの山に向かって、静かにヒトリ感謝と祈りを捧げます。朝に夕に捧げます。「ハヤクヨクナリマスヨウニ」「ハヤクヨクナリマスヨウニ」「ハヤクヨクナリマスヨウニ」