介護マシーンとしてのワタクシ

本日訪問した利用者さん。強度のリウマチを患っており、まだ若くしっかりしているのだけれど、指先を使う仕事と歩行に問題がある。家族が留守になるための臨時の一時間だけのサービスだったけれど、彼女が実に見事にヘルパー(私ですね)を使いこなす姿に、感動に近い感覚を覚えてしまった。ほぼ初対面の私が戸惑うことなく、明確に次々と指示を出していく姿もスバラシカッタ。訪問し、まずは洗濯物の取り込みとたたみと片づけ。続いて、全身清拭と着替え(自力では着替えがままならないため)、足浴(お湯二度替え、軽いさすりも一緒に)、整容。夕食の仕度(キャベツの千切り、アボガドのサラダ)。肝心のメインデッシュは散歩を兼ね近くの総菜屋さんにヒトリでこれから買い物に行くという。家族がいる時はなかなか食べさせてくれない(ちょっとジャンクな)おかずを結構楽しみにしているのよ。と笑うその顔をみていたら、私もとても嬉しくなってしまった。こういう「自分がどうしたい」を明確に持っている患者さんに出会うと「OK、相棒、任せておいてよ」とい言わんばかりに、実に張りきる私であります。まさにマシーンの如く彼女の手足となるべく良い仕事をしていくわけでありますね。

そして、近頃同僚さんたちの仕事に対する不平不満などなどをよくよく耳にする私ですが、私の場合はですね、現在担当している10人の方達とは(家族を含め)とてもよい関係にあると、自負しております。ので、仕事に対する不満あまりないですよ。あっけないほどね。もちろん、担当している人たちに恵まれているからということもありますが、仕事は少しも苦痛ではないのですね。不平不満を熱く訴え続ける同僚さんたちの話を聞きつつ、私が思ったことは。私にとって仕事は本気になる場面ではないのかもしれないなぁということ。もちろん、きちんと良い仕事をしたいという気持ちは強くありますし、それに伴う意見は言っていきますけれど、仕事は私を押し通したり、振り回したくなるような、そういう場所ではないのですね。私は私の足場をきちんと固められれば、それでいいと思っているようです。きっと。私が私を押し通したり、振り回したくなる場面というのは、明確に別の場所にしっかりと真空(もしくは冷凍)保存されているのですね。ということ。