キセルをはじめて聞いた日のレビュー(2002/11/21)

近未来

デッキのスイッチをオンにして、キセルの音を流しました。

ただそれだけのことなのに
それなのに

ぶあっーと体の力が抜けていった。
そして視界が開けたんだ。
ぶあっーってパノラマみたいに、視界が開けていったんだ。

こんな景色いつかもみた
こんな風景いつかもみた
そんな気がした

イロトリドリの世界が私を包んだ。
っていったら、大げさだよと アナタは笑うのでしょうか?
かまいませんよ。 
ほんとに見えたんだから。

わたしの景色違って見えた。
なんだろう?なんて言えばいいんだろう?
びろおんて時間がゆるんでくよ。
たるんでいくよ。ほどけていくよ。だらけていくよ。のびきっちゃうよ。
時間が わたしが この部屋が。

なんだろう?こんなにゆっくりしたこと、このごろあったかな?

こんなこと、少しも思っていなかったのに。
とたんに自分が、時間の亡者みたいに思えてきたよ。
何をアクセクしていたのでしょうって。

そしたら体の力がふあっーて抜けて
やりかけのことも やんなくっちゃのことも 山ほどあったのに
ぜんぶがぜんぶどうでもよくなっちゃって
床にぺたんとすわりこみました。

すわったとたんに、「これ幸」と膝(太もも)に猫がのってきて
猫は私の膝でたちまち まどろみます。
ああそうです。この私の様は、私が感じているこの感じは、猫の時間です、きっと。

何かを思い出すことも、何かを期待して待つことも 猫には縁がないのです。

と、昨日ベットの中で読んだ本の中でカナイミエコさんがいっていました。
だから 猫の持つ時間は 永遠のまどろみだって。だからシャクなのだって。

キセルの流れるこの部屋は キセルに包まれる私たちは まどろんでます。永遠のまどろみです。

もう何順目の「近未来」が流れ出したのかも 数えていません。
何順目の冬が巡ってきたのかも 覚えていません。
そして部屋も膝も 不思議なくらい あたたかです。

ただとっても懐かしくなって、思い出してしまいました。
そしたらとたんにさみしくなって 苦甘い気持ちが流れ込んできて
わたしのまどろみを邪魔します。

いもうとと手をつないで歩いてた
歩いて帰る帰り道 いもうととの帰り道
沈みかかるお日さまの色 少し遅れがちについてくる靴の音
カサカサの手 おそろいの運動靴 遠くで聞こえる鐘の音 
こんな景色を ふたりでみた 
こんな景色を ふたりでみたね。

こんななつかしさは どこからくるの?
こんななつかしさ どこにいってしまうの?
こんななつかしさは どこに住んでいるの?
こんななつかしさも いつかは どこへいってまうの?

「遠い昔は 未来に よく似てる」(近未来)
それなら また 会えるかな
いつかは きっと 会えるかな
また一緒に 歩けるかな?

気がついたら わたしは泣いていて 思い出すことのないという私の猫は
けげんな顔です。
しらぬぞんぜぬです。
ほんとに猫というのはシャクなものですね。


さて
さてさて
ゆっくりした所で宣伝です。
キセルのニューアルバム「近未来」を聞いてください。
とってもとっても よいのです。

時間も季節も毎日も たいがいのこと どうでも良くなります。
昨日も明日も たいがいのこと どうでも良くなります。

どうでも良くなりたいアナタに「熱烈」オススメです。