長い長いさんぽ/須藤真澄

長い長いさんぽ ビームコミックス
新聞で紹介していたこの本。絶対買ってくるだろうなーと思っていたら、案の定Aさんが買ってきましたよ。須藤真澄の愛猫「ゆず」との最期の日々が綴られたこの本。今年9歳になる猫(ぎょんすけ)を飼っている私たちにとって、とてもヒトゴトでは読めない本でありました。そもそもAさん、はじめて二人で飼ったハムスターが死んでしまった時、神経性の下痢を続けてみるみるげっそりとしていったことがあったっけ。もちろん私だって悲しくなかったわけではないのだけれど、彼のそのあまりの悲しみように、少し引いてしまったぐらいだから。だからそんな彼が全うにこの本を読み通せるわけもなく、時折本を置いて何度も悲痛な様子でうろうろしていましたよ。私ももちろん涙なくしては読めなかった。死んでしまった「ゆず」に対してとことん悲しんでいる所がいいんだな。少しばかり自嘲気味に書いているけれど、悲しむことを惜しんでいない。全身全霊で弔って悔やんで悲しんで嘆いてる。そしてその悲しさを抱えたまんま新しい命を愛しンでいるトコロが凄くいい。凄く全うで大事なことだと思うから。

そしてそして、この日記を書いている今、私の太股の上にはだらんと伸び切った私の猫がいるのだけれど。彼女をはじめて手にした時からずっと、私はこの命がいつかは私を置いてどこかへ旅立ってしまうということを知っている。薄々感づいて、覚悟をしてる。だからどんなに二人(ヒトリと1匹)でぬくぬくとした毛布に包まっている時でも、咽をぐるぐるといわせて目を細めている時でも、アタマの片隅はしんと静まって冷え冷えとしているような気がするのだ。いつかの別れを限りある関わりを、だからこそ力の限り満喫したいと。そんなことを思ったり。当の猫本人は、そんな私の気持ちなどお構いなしで、随分と幸せそうにしているのですけれどね。