人のセックスを笑うな


土曜日、日曜日、月曜日と…わたしはまだその余韻の中にいるー「人のセックスを笑うなhttp://www.hitoseku.com/top.htm)」をみて。みおわって、すっかりやられてしまって。その余韻のような、余熱のような、そんな中に、私はまだぼんやりと漂ってるみたいだ。よかった。とにかくめちゃくちゃよかったのだ。

どの人にも等しく感情移入というやつをしてしまって。総ての人を等しく俯瞰しているような、少し神様の目線というか、そんな感じで映画を見守ってしまって。誰のことも嫌いになれなかった。好きだと思った。どの人も脇役なんかじゃなかった。ユリもみるめもえんちゃんも堂本も猪熊さんも。彼ら総てが愛しく映った。人が人を好きになって、嬉しくなって苦しくなって、あがいてもがいてる様が、私には随分と愛しかった。




永作博美が少しだらしない感じなのが良かった。歩き方とか、洋服の脱ぎ方とか、ストッキングにパンツと靴下とか。そのちょびっとのだらしなさが、すっごくいやらしく可愛くって、ユリって人なんだなあと思った。みるめ君といる時もなんだけど、猪熊さんといる時の、ユリもよかった。ユリがちゃんと猪熊さんのことも好きなんだってよく分かった。必要なんだって。そこがしっかりある所が、なんかよかった。


蒼井優のえんちゃんに泣かされてしまった。あの観覧車のシーン。「犬猫(この監督の前作)」を見た時もそうだったんだけど、突然感情の針が振り切れるみたいに、この監督は私を泣かせるんだよなあ。準備もなく突然、わっと流れる涙にびっくりして。でも長引かないで、また映画の中に戻してくれる感じがいいなあとまた思った。えんちゃんがすごくいいこだった。自分の感情にじっくりむかいあって、努力して、嘘もへっちゃらで、誰も責めないで、考え込んでて、それでもどうにもならない時は、その気持ちのまんまにびょんびょん跳ねてて。ただただ跳ねて、大声出して、どんどん歩いて、ばりばり食べて。どうにもならないものをどうにもならないまんまにしてるところが、すごくよかった。


頼りなさそうな堂本もよかった。彼の彼なりのやり方がよく分かったし。彼らしくないようなその彼なりが、すごく見ていて嬉しくなってしまった。ずっと見つめているその視線も温かだったし。その先に何も求めていないみたいに、たおやかだった。きちんと自分の気持ちが見えてるのだなあってとこも。


音楽がとってもよくって。今日もあの「エンジェル」って曲が一日中アタマの中をぐうるぐうる回っていた。ピアニカのやさしい音の曲もよかったしフィッシュマンズのカバーも、もちろん。音楽だけじゃなくなって、音楽が流れていない時に聞こえてくる音もすごくよかった。唇がたてるキスの音とか、歯がならす食べる音とか。


「犬猫(この監督の前作)」を見た時も思ったんだけど、出てくる部屋というか、建物というか、景色というかが、いいんだよなあ。なんでもないようなんだけど、なんでもないわけじゃなくって、そこにしっかり息づいてた。桐生っていう土地柄もいいんだろうけど、東京の都会のマンションのとかでは、出てこない感じよく出てた。恋愛の只中の中に、一緒に暮らす爺ちゃんがいたり、家があったり、トラック運転していたり、家業継いじゃったり、そういう感じがその人をふくよかに見せてくれてたようにおもうんだ。


そして、みるめ君は本当に触りたくなるような男の子だった。みるめ君とユリの時間は、こっちが覗き見してるような少しの後ろめたさと気恥ずかしさもあったのだけど。私と誰かのいつかの時間でもあったみたいで。いつの間にか「人を好きになるってことの、この、どうしようもなさ」を思い出させてもらったみたいだ。その「どうしようもなさ」は、本当にもうどうしようもなくって、手に負えなくって、凶暴で、頑固で、厄介で、煩わしくって。だけどやっぱりどうにもならなくって。その気持ちをどうすればいいのかもわからない。どうすればなくなるのかだってわからない。だけど、そんな気持ちに翻弄されるのだって、絶対悪くないと思う(思いたい)んだ。


「会えなければ終わるなんて、そんなものじゃないだろう」
「会えなければ終わるなんて、そんなものじゃないだろう」
「会えなければ終わるなんて、そんなものじゃないだろう」


答えとか、結末とか、その先とかが、ないからよくって。ないから、ああ、今なんだなと思って。不意に「エンジェル」をめちゃくちゃに歌いながら自転車を漕いでたユリの気持ちが分かった気がして。やっぱりやり場がないような苦しいような切ないような気持ちがいっぱいになってる。だけど、こんな気持ちになるのだって、絶対絶対悪くないと、やっぱりそう思うし、思いたい私なのだよ。ねえ、D。この映画絶対みるといいよ。みなくっちゃだよ。ね。