接吻/万田邦敏

感想はしっかりラストに言及してますので、そのつもりでお願いします。

映画を見る前には、自分にあまり多くの情報というヤツを入れずにおくようにしているのだけど、それでも、わずかながらに漏れ伝わってくるこの映画の情報から、わたしは小池栄子演じる「京子」という女性に少なからず共感というか共鳴というようなモノを感じるのではないかと、想像していたー。


ユーロスペース 接吻をみた。見終わって。わたしが共感し共鳴のようなモノを憶えたのは、少し「とほほほほ」という笑い顔をした、豊川悦司、その人の方だった。

面白いなあと思ったのは、「理解者」「同士」を得て、女は強くなり男は弱くなったところ。誰かを愛した男の心は柔らかくなって、女は堅く堅くなったところ。人を殺しても何も感じなかった男が、自分を一途に愛してくれる女を得て、その女に「死なないで欲しい」「生きて欲しい」と願うようになるところ。「死なないで欲しい」「生きて欲しい」と願う心は、誰かにとっての「生きて欲しい」存在であった、誰かを殺してしまったという己の心に向けられるのだな。女が刃物を突き立てたのは、二人の間が二人だけで済まなくなってしまうことに対する、純粋な嫉妬だったんだろうな。と思ったりする。女はこのままで良かったのだ。二人だけで。二人で朽ち果てていくような愛が欲しかったし、それに見合う男が欲しかった。男に刃物を突き立てて女の愛は完結したのだな。さらに強く堅くなって。男は愛するということを知り、愛されるということを知り、大切にすることきちんと正しく愛すること柔らかくなることを始めてしまったのだな。女が「私たち」という言葉を繰り返す度、二人の人間の間にある重なり切らない部分が浮かび上がってきて、悲しくなった。拘置所の壁を越えてやっと二人が触れ合える時、小池栄子演じる女は、刃物を突き立て、その女を男は目を細めて抱きとめた。女の求めた接吻は、あまりに皮肉だなあと思った。


それにしても、女に刺された男の顔はしあわせそうだった。男は最初から殺したかったんじゃない。殺されたかったんだなと気が付いた。その顔をみていたら、自然にわたしの顔と重なった。男はしあわせだったんだろうなあとそう思った。男は二度ハッピーバースデーの歌を聞く。一度は自ら歌い、そして二度目は女が歌う。その歌を聞きながら、産まれ直したかった男を思った。本当に本当は、愛するその女から産まれ直したかったかもしれない男を思った。