知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展@東京都写真美術館

閉館一時間前に、ジャコメッリ展に滑り込む。一時間あるのだから、充分だろうと高を括っていたのだけれどー閉館のアナウンスが流れたとたん。その立ち去りがたい気持ちに我ながら驚いてしまう。もっともっとここにいたい。見ていたい。目で触れていたい。という気持ちがぬぐい去れなくなっていたのだ。

凝視は細部の発見をもたらすと同時に、全体像の崩壊にいたる。

とにかく細部をじっくり見ずにはいられなかった。その線の不思議さに繊細さに力強さに、寄っては見、離れては見、寄っては見を繰り返す。一枚一枚にたっぷり時間をかける贅沢さ。見て見て見ているうちに、その細部が何の細部であったのか、何の一部であったのか、だんだん分からなくなるのだけど。それでも、美しいということ。美しさだけはひしひしと伝わってきた。私の記憶をノックしてくるような美しさだった。白と黒という色はこんなにも多弁なのかと、ため息が出るようだった。


ホスピス」の写真を見る。見て見て見ているうちに、泣きたくなるような気持ちになる。この感情は、そこに「生」とか「死」とかいう物語をみたから。と言うこともあるのだろうけれど。だけど、それよりもなお、もっとダイレクトにそこに刻まれた美しさに見蕩れてしまったからだと思う。乱れた髪が、刻まれた皺が、苦しげに開いた口が、美しかった。美しいのだ。キレイだなあと。そのお婆さんの顔を見つめて、気が付いたらわたしは呟いていた。キレイだなあ。キレイだなあと。何度も何度も言葉が溢れた。この胸を打つ美しさというヤツは、やっぱり「生」とか「死」とかいう物語が、ありありと潜んでいるからなのかもしれないけれど。とにかく、感情を排したような何枚もの写真を見ていると、わたしの気持ちのほうが波立った。


写されるモノがヒトが、奇跡のような瞬間を得て、写されるためにそこにあったような。そんな奇跡を見せられたような。すごく親密で特別な時間を共有できたような。そんなとても深い一時間でありました。