ビハインド・ザ・サン/ウォルター・サレス

makisuke2004-11-29


「セントラル・ステーション」「モーターサイクル・ダイアリーズ」のウォルター・サレス監督の[[ビハインド・ザ・サン]]を新宿武蔵野館に見に行きました(ちなみに「シティー・オブ・ゴッド」は制作で携わったらしい)。良かったです。とてもとてもとても。今でもため息が漏れてきそうです。あまりに美しくって。


主演のロドリゴ・サントロは美しくて、出てくる人すべてが美しくて、彼らに宿る表情が美しくて、空と雲と土(青・白・茶)の映像が美しくて、ここが東京で新宿の片隅にある映画館だって事、忘れてしまいましたよ。いろんな物事がそぎ落とされていて、すごくシンプルなんだけどダイナミックで、ブラジルという土地に根づいたしっかりした映画で。自由とか、生きるとか、死ぬとか、希望とか、献身とか、掟とか、恋するとかが、ずしっとした重みを持って(もしくは本来の意味を取り戻して)私に届けられた感じで。見ている私もとてもシンプルにダイナミックに映画に向きあえたんではないかと思う。とにかく真っ正面から映画を観たような、そんな気分なのだ。

心に残ったのは、トーニョがブランコから落っこちた所。「死んでしまったのでは?」と、皆に緊張が走った所。その後、それがほぐれる(弛緩する)瞬間。その緩みに誰もが素に戻っていって、因習と復讐と名誉心にがんじがらめになっていた父親でさえも、単純に「生きてる」ってことのスバラシサを認めるように讚えるように笑い転げる所。

彼の地では「生きる」ってことは、ずっと過酷だ。「希望」だって、ずっと遠くだ。それでも人間は「生きる」ことをやめないし「希望」を捨てることは出来ないのだな。パクの選択した「生きる」も「希望」もとても尊いと思う。とても幸せな選択だったと、私は信じたいとそう思った。

仕事帰りに久我山で新しいお豆腐屋さんを発見したので、木棉を1丁油揚を1枚買って帰りました。早速、夕ごはんに木棉は奴で油揚はあぶって食べたのだけど、お味の方は今一つでした(豆の味が薄い、にがりがちよっと強いようにも…)。残念。実家のほうれん草は胡麻和えに。里芋は洗って、蒸し器で蒸して食べました。大根はふろ吹きに煮てたけど、夕ごはんには間に合わず。

蒸し上げただけの里芋は、ねっとりと甘くって美味しかったですよ。熱々のうちに皮をむいて、塩を振って、ちよっとバターもつけちゃったりして食べました。後はごはんの上に大量のおから(母親作)をのっけてみたり、卵をかけかけてみたりして、ごはんを堪能して〆となりました。