蝶の舌/ホセ・ルイス・クエルダ

makisuke2002-04-21

蝶の舌 [DVD]
「少年時代」というコトバを訳してごらんと言われたら「薄目しながらモノを見ることの出来なかった頃、めいっぱい見開いた目で、良いこともそうでないことも全部見てしまった、あの頃のこと」と、わたしなら訳すことでしょう。

そう、この映画はそんな「少年時代」の物語。

選り分けること、判断すること、理解すること。そんなことが何一つ出来なかった頃の物語。あの日の少年の叫びを思う。すべてが胸に落ちてくるのは、きっとずっと後のこと。それは狂おしい歯がゆい思い出。それでも少年はあの日叫んだんだ。何も考えず、そして、何かに突き動かされて。そして、その叫びはわたしにも届いたんだ。

あの日のモンチョ少年は、今、何を想い何を考えてあの日のコトを思いだしているのだろうか。こぼれんばかりの目を見開いて、何もかもに向き合ってしまったあの頃。愛とか出会いとか、裏切りとかタブーとか、いきとし生けるモノとか。少年で居続けることなど出来るはずもない私たちは、何を選び、何を解釈し、何を忘れようとするのだろうか。何を許し、何を許さず、何を受け入れていくのだろうか。そんなことをこの何日かずっと考えている。

そして、最後に残る美しいモノ、いとしいモノって何だろうと。

例えば幾つかの恋があった。そして、ヒトツの恋があった。それは背負うモノの重さの全く違う恋。方やどこかの本で見たイラストさながらの相手に思いを寄せる恋。方やたくさんの抱えきれない現実に届いた奇跡の音楽のような恋。夢と現実。交わることのない恋を通して、彼女に残った想いを思う。彼女にはその思い出が慰めになるのだろうかと。なくなるってコトは今まであったってコトだから、なかったってコトよりどれだけ良いかと、そう思えるのだろうかと。人と出会い関わっていくこと、人と出会い惹かれてしまうこと、それ自体、意識無意識に関わらず、すでに充分罪の領分に踏み込んでいるのだと。そしてわたしも深い深い罪を犯したということを。

例えばたくさんの大人達に出会う。その人のいろんな顔がまたヒトツ見えていくたびに、少年はやはり目を凝らして見つめてしまう。見上げるばかりだった大人の世界。その時は見えなかった知らない顔が見えてくる。やさしくあったかな先生の顔。強い顔。さみしい顔。だらしのない顔。ロマンチックな顔。そして、色を失った絶望の顔。すべてが先生。すべてでもって先生なのである。良いことなのか悪いことなのか、美しいのか醜いのか、敵なのか味方なのか。まだ守るモノを知らない少年時代に、彼らが選んだ優先順位という名の誇りを、いつの日かモンチョはなんと判断するのだろうか。

そしてモンチョはどんな大人になっていくのだろうか。

ああ、それでも、この物語は決して饒舌でない。ただ美しく、取り返しがつかないほどに美しく、退屈なまでに美しく、醜いモノまで抱き込んで、寡黙なまでに、すべてがくるまれている。ただそれだけの映画ですから。そしてわたしはそんな「少年時代」の映画が大好きなのだ。

「ティロノリンコ!」=さようなら!さようなら!
蝶の舌!」=ありがとう!ありがとう!

そして、これがわたしが決めたこと。わたしだけに聞こえるコトバ。今日わたしの辞書に書き記したコトバたち。「少年時代」の横にそっと書き記したコトバたち。例え幾年月が過ぎようが、色褪せないコトバがあるってこと。色褪せない想いがあるってこと。そして、わたしはそれを選びとることが出来るってこと。

だから、今日、わたしは、このコトバをこの胸に焼き付けることに、決めてみました。