リトル・ダンサー/スティーブン・ダンドリー

リトル・ダンサー BILLY ELLIOT [DVD]
最初のシーンを見た時から「これは絶対絶対よい映画だなぁ」って、私はすぐに分かったしまいました。この映画がはじまって五分と経たないうちに、私には分かってしまいましたよ。それは、私が今までに愛した数々の映画にも言えること。よい映画って、はじまってすぐに私は分かる。ああ、これ好き。ああ、もう大好きってすぐに分かってしまうのだ。

そしてもう一つ。よい映画って見終わったとき、その物語のはじまりに想いが自然に戻っていくってことが必ずある。ああ、ああやって始まっていったんだって。自然にファーストシーンに想いは移行していく。だからよい映画は輪っかみたいに繋がって永遠に物語が流れていくのを感じます。

それではと、この物語の始まりは、こんな風。

少年がレコードを流す。丁寧にプレーヤーの針をセットして、音が流れるのをワクワクしながら待っていて。そして、音が流れ始めるとその音に合わせて、ベットのマットレスで、ぴょーんぴょーんと跳ねている。足を開いたり閉じたり、身をよじったり、手を広げたり。それがゆっくりとスローモーションで流れている。ただそれだけ。ただそれだけなのに、私は何だか泣きそうになってしまったのを、今でもしっかり憶えてる。だって、そこから聞こえてきたのは、その子の、ああ、楽しいよっていう内なる声。リズムに乗っかるコトって楽しいよって。高く飛ぶのって楽しいよって。カラダを揺さぶるのって楽しいよって。楽しい楽しい楽しいよって。

そして私は「ガープの世界」の、あのシアワセに満ちたオープニングを思い出していた。(今でも私は「リトルダンサー」は「ガープの世界」のオマージュじゃないかと思っているのだけど)あの、ゆっくり空を舞う赤ん坊を見たときのコト。あの時の、赤ん坊が持ってた内なる声、楽しいよって。何があったってなくったって、生きていくのは楽しいよって。産まれてきてうれしいよって。それは、それからはじまる物語の、どんな災難や障害をも寄せ付けない、生に対する、全肯定。オールオッケー。ノープロブレム。それが嬉しくって嬉しくってたまらなかった。
 
だけどね、「リトルダンサー」のこの子は、アタマの中で、ちっともすっきり分かっていないの。自分を持て余してる。気持ちやカラダや家族や友達や、いろんなモノを持て余してる。その少年らしさ。そう、私にとって少年とは、いつも何かを持て余していて、役に立たなくって、所在なさ気で、不機嫌で、何だか茫洋としてるモノ。私の愛する映画の中の少年達は、いつもそうなの。

そしてそんな「男の子の時間」に、私は生涯焦がれ続けていくんだろうな。きっと幾つになったっても、私が求めるモノ欲しがるモノは、変わらないんだろうな。そしてやっぱり、手に入ることはないんだろうな。

そんな男の子が「ダンッ!」と、一歩踏み出すその瞬間。そのステップの力強さに、私はこの子の魂を感じたよ。すべてを振り払うように、すべてから飛び立つように「ダンッ!」とこの子は永遠の第一歩を踏み出したんだ。魂を込めて。

観終わってやっぱり最初のシーン思い出してた。全編に流れるブリテッシュロックも小気味良いダンスシーンも物語だってもちろんとっても気に入ったんだけど。ああ、この子はずうっーとマットレスで跳ねてるんだって。きっと幾つになったって、どんなに有名になったって、あの日のまま。

楽しい楽しい楽しいよって。産まれたときから、それしか知らなかったみたいに。びょーんびょーんて、跳ね続けているだけなんだなって。それがとても嬉しかったの。