「図書館の神様」瀬尾まいこ

図書館の神様

良いな。何だかとっても好きだな。そんな事をしみじみと噛みしめながら、読み終えた。「何処が心地良いのだろう?」と、自分の中でその「気に入り具合」を確認しながら読み進めるという。不思議な余裕を与えつつ、ずんずん夢中になれた本。そんな「間合い(距離感)」が気持ち良くって。ここに流れる「空気感」が気持ち良くって。誰かに「良いよ」と、言いたくなる。そんな本だった。

この距離感は、きっと作者である「瀬尾まいこ」という人が持っているそれで、本能的に「この人は良い、信用出来る」と、私に教えてくれた。主人公である高校の講師の「清」は、だから作者にダブる。気も目的意識も強くて、実に体育系いかにもバレーボール部員(私の偏見か?)。そのくせ、どこかトボケていて、身の丈ですぽんとモノを言って…実にチャーミングで。

魅力的な登場人物たちも出てくる。出てきては色々な形で主人公に力をくれる。気付かせてくれる。ー絶妙のタイミングで助けてくれる弟くんだとか。不器用でらしくない不倫相手の浅見さんだとか。クールで全てを見透かしているような文学部員の垣内君だとかー出てくるけれども、彼女「清」が、少しずつ変わり選んでいく事は、この人の底(内)から生まれてきた事だと、分かるのだ。

感傷的。という訳では全くなく。いろんな事を思い出させてくれる本でもあった。忘れていた。という訳じゃないのに、いろんな記憶の引き出しが次々に開けられて、ちょっと不思議な感じ。ざわざわと気持ちが忙しくなったよ。

「ああ、神様。二度と悪い事はしませんから」と、体調が悪くなる度、必死に布団の中で祈っていた事とか。病気の時の心細さとか。本当に本当に好きだった事を、続けられなくなってしまった事とか。それを他人には上手く説明出来なかった事だとか。死んでしまって、もう答えの返ってこない人に、何度も何度も話しかけた事とか。よくよく「ロールキャベツ」ばかり作っていた事とか。その帯びがベーコンで、爪楊枝は使わなかった事とか。あの頃あれが、何と手の込んだ料理かと信じていた事とか。それをせっせと恋人に出していた事とか(私って案外ベタね)。何かに本気になると、楽しめなくなって、余裕がなくなって、周りから浮き上がってしまう。そんな自分のツマラナサとか。だから本気になるのが「怖い」事だとか。むちゃくちゃに走るのは気持ちが良いって事だとか。山本周五郎夏目漱石のスバラシサだとか。体も頭もおんなじぐらい疲れてて、おんなじ方向を向いているって時の気持ち良さだとか。

そんな、そんな事。つまんなくて淡くて忘れてしまいそうな微かな事を、いっぱいいっぱい思い出したよ。

そしてそして、この人の「食べ物」の場面が好き。とっても好き。食べる事作る事その効果を知っている人だと思うから。人をしょんぼりさせたり元気にさせたりするのに、上手に「食べ物」を持ってくる。クリームも飾りもない、ただの焼き立てのフカフカスポンジケーキだとか。喉につるっと滑り込むモズク酢だとか。家族で食べる雑駁で美味しいモノと、恋人同士が食べる気取っていて見栄えが良いモノとの比較だとか。

とにかく最後まで一貫して、風通しが良くて、見晴らしの良い小説だったな。そしていつの間にやら、この人を「良いな」と思えた事は、自分を「大丈夫」と、確認するよな作業になっていったっけ。誰が何と言おうと、大丈夫。私は私の中に、良い風や景色を感じる事が出来るから。今日や昨日や明日がどうであろうと、大丈夫。そんな訳もない自信で、私は今、走り出したいような、叫び出したいような、エネルギーに包まれているもの。