The Hour of Bewilderbeast / Badly Drawn Boy(バットリー・ドロウン・ボーイ)

バットリーを聞きたい季節になったものだよ。と、思っていたら、ちょうど一年前、自分がこんなレビューを書いていたのを発見。そんな季節なんだよな。と、改めて確認して。彼のアルバムは「アバウト・ア・ボーイ」のサントラが一番!て話も聞くけど、私はこれ。このアルバムが彼のベストと思うのです。

The Hour of Bewilderbeast
今日は少しだけ喋りすぎたみたいだ。

体のあちこちに、いろんな感じが残ってる。笑った感じだとか、ムキになった感じだとか、はしゃいだ感じだとか。そんな感じだ。そいつらがいつまでもまとわりついて、私の気持ちををざわざわさせてる。たくさんたくさん気持ちが動いて。きっと、いろんなことを考えたんだ。

こんな日はどうもいけない。

ヒトリになってホームに立ったら、そんな感じが、ぽこぽこと沸いてきて。思い出したように浮かんできて。飲み差しのジンジャーエールの泡みたいに、私から抜けていく。あんな感じもこんな感じも。沸いては沸いては消えていって。どんどんどんどん抜けていって。空っぽになろうとしてるみたいだ。何も残らない。いつのまにかぽつんとしていて。なんだか慌てて、世界を見失ったみたいになる。この世界にひとりぼっち。さみしくはないけれど。ただ足下がぐらぐらとした。

こんな日は、決まって喋り方を忘れてしまう。

どんな風に笑えばいいか、どんな感じで喋ればいいか、どんな顔をしてればいいか、思い出せない。どこに帰ったらいいのか、誰が待っているのかも、思い出せない。わざと街をふらふらとして。春でもない、夏でもない。そんなつかみ所のない夜にさまよっている。

ヘッドフォンからは「バッドリー・ドロウン・ボーイ」。

彼の奏でるメロディと声色が、私をどんどんシャイにしている。私をどんどん物思いの縁に沈み込ませている。たったヒトリで彼の音楽を聴いている。そして言葉を締め出していく。言葉を知らなかった子供の頃に帰れと言うように。そうやって音楽に触れていけと言うように。

デーモン・ゴフこと「バッドリー・ドロウン・ボーイ」のことを、私はほとんど知らないと言っていい。酔いどれ詩人と呼ばれていることだとか、マンチェスター生まれだとか、そんなことを知ったのは、本当につい最近のこと。

だけどデーモン・ゴフこと「バッドリー・ドロウン・ボーイ」のことを、私は少しも知りたいと思わない。音楽に過剰に言葉を求めてしまう私は。強い言葉を求めて反応していく私は。時に言葉に疲れてしまう。もしくは憑かれてしまって。自由に音楽に接することが出来ないのだ。とても不自由な人なのだ。だから、私の乏しい英語力で理解できない国の音楽を聴く時は、何も知らないままでいる。タイトルだって実はろくろく読んでもいない。音楽に対する知識は(幸か不幸か)持ち合わせてないから。対訳なんて、うそっぱちだと思っているし。だからダイナミックにその音楽を、音やその周辺のことどもを、飛び込んでくるままにしていたいのだ。そこには一滴の私も挟み込まずに、まるのまま。そのまんま。

ヘッドフォンから流れてくる「バッドリー・ドロウン・ボーイ」。

このアルバムは途切れることがない。私を連れて、私を置いて、どんどん流れていく。美しいこのメロディの向こうで、彼はどんな言葉で歌っているのだろう?どんな景色を眺めているのだろう?そしてやっぱり私のように、シャイになっていく、デーモン・ゴフこと「バッドリー・ドロウン・ボーイ」を感じて。おんなじ体温と言葉を感じて、そっと身を寄せてみたりする。

寒い冬に聴くのがいいと、誰かが言っていたけれど。春でもない、夏でもない。こんなつかみ所のない夜に聴くのも悪くないと思う。

空っぽだった私に、いつの間にか世界が満ちてきて。私は、今、世界を取り戻した。そんな気がした。さあ、早く家に帰ろう。そう、思った。


春でもない、夏でもない、そんなつかみ所のない夜に。2003-04-19/巻き助