ギーガーズ・エイリアン/エイリアン

エイリアン2 完全版 アルティメット・エディション [DVD]

本来、私はこの手の映画を好んでは観ない。

キライではない。ただ触手が伸びない。私の好む世界ではない。と、いうのが一番ぴたりとくる表現かもしれない。だがしかし、しかしである。私はこの映画が、とてつもなくよく分かるのだ。この世界の持つ完璧さ、美しさ、可愛らしさ、気持ちの良さが、手に取るように分かるのだ。

それは彼のため。彼=私の連れ合い=ここでは彼を仮に「A」と呼ぼうか。Aというフィルターを通して観るこの世界に。Aを使って知るこの世界に。その分かり易さと楽しさに、私はコトバを失い、見とれてしまう。この映画が、彼の「Aの宝物」であることが、シンプルにダイレクトにどんどん私に伝わってくるから。

Aは言う、これは完璧なゴシック・ホラーだと。

彼を引きつける理由。それは、閉じた世界であること。閉じて完成された世界であること。自然のモノが全く存在しない、すべて作り込まれた世界であること。作り込まれた美しさであること。作り込まれた気持ちの良さであること。そして、それを作り上げたのがAがこよなく愛する「H.R.ギーガー」であること。

そして、ギーガーの作品集「ギーガーズ・エイリアン」を開いてみる。ギーガーという人は、卵から宇宙船まで、どうしてこんなにいやらしく美しく仕立て上げてしまうのだろう。ひんやりして、でもなまあたたかく。だから、いやらしくて美しくて。その癖、乾いていて、でも常にしたたっている。この気持ちよさ。これはきっと細胞レベルの快感。生まれ落ちたときから知っている、気持ちが良いという感覚だ。それに違いない。だから、私は時に、何だかひどく懐かしささえ感じてしまうのだ。

だけどそれは、私がAという新しい目を持ったから分かること。Aを触って知ったこと。

ああ、彼だ。こんなトコロにも、彼はいたんだ。そう気が付いて分かった宇宙のカラクリのようなモノ。それは私だけが知っている、彼の内側にするっと潜り込むような感覚。硬質さとなまめかしさ。枯れているようで、ぬめぬめとして、手肌にからみついてくる質感。そう、彼。Aの世界だ。

はじめの戸惑い、はじめのオドロキ、抵抗や恐ろしさまで丹念に思い出される。Aを、はじめて触った日のことや。Aにはじめて触れたいと思った日のことや。いけないモノを見てしまったような後ろめたさや、取り込まれた先で失った方向感覚まで、丹念に丹念に思い出される。そうやって知っていったんだ。少しずつだけれど知っていったんだ。

誰かを細胞レベルで知るって事は、きっとこんな事なんだ。と、私は改めて「エイリアン」に釘付けになる。そして、思う。私この映画が、ギーガーが、好きだ。大好きだ。と。

「エイリアン」。2、3、4と続編も作られていて、知らないという人は、まず、いないかもしれない。そのどの作品もが、それぞれに美しく、可愛らしくもあり、それぞれに気持ちがよいのだけれど。やはり、リドリー・スコットの静かな佇まいは、格別かもしれない。

知っている。分かっている。この映画を前にして、そうアナタは高をくくっているかもしれない。私だってそうだった。それでも、今、私はあの日まで、見ていなかったんだな。と、しみじみ思う。眺めてはいたものの、それを見いだす目を、私はまだ持ち合わせていなかったと。この気持ちよさを感じるカラダを、持ち合わせていなかったと。

そしてそれを知ってしまった私は、もう後戻りは出来ないんだと思っている。それはもう、細胞レベルに刻みつけられてしまったことだから。と。

                 2002-05-05/巻き助