「KATANDOLLfantasm」「KATANDOLL」人形/天野可淡/写真/吉田良一/リブロポート/1990年/


栗山さんに教えていただいた榎本香菜子さんhttp://www.h3.dion.ne.jp/~e-kanako/の作品を見ていたら、天野可淡を遠くで思い出しました。カタンドールより、むしろ西岡兄妹かもしれないけど。

KATAN DOLL(カタンドール)

私には宝物がある。

それは、私が見つけたモノじゃない宝物。ずっと目を背け考えないようにしていた宝物。それは、私の彼「A」の宝物。

恐がりで痛がりでウソツキな臆病者の私には見つけられなかった宝物。今では、私の側で、いつも息を潜めている。私の半分。私のまどろむ夢の中。

ヤン・シュヴァンクマイエル/クエイ兄弟/H・R・ギーガー/「フリークス」トッド・ブラウニング/「ZOO」ピーター・グリナウェイ/「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」/「ゲルニカ戸川純/丸尾末広/ねこぢる/ドラッグの本/死体の図鑑/エロチシズム/そして「天野可淡」の作る人形たち。

それは「遊びに行ってもいい?」「遊びに行ってもいい?」と、生真面目にその質問を繰り返した、彼が持ってきたモノ。宝物だよと言って、私に惜しげもなく見せてくれたモノだった。

「着替えを取ってきていい?」「ご飯食べさせてもらっていい?」「朝起こしてもらっていい?」

彼はいつも遠慮がちで、他人行儀だった。それはあの部屋が、私のお城だったからだって思っていたけど。違うんだってことは、暮らし始めてすぐに分かった。彼はそういう人なのだ。

天野可淡の作る人形たち。それを眺める私は、いつでもAを思い出す。彼の目を。

人形のように美しい顔立ち。なんて言うつもりは毛頭ない。第一改めて眺め直すカタンドールは、決して美しくない。美しい美しいとばかり思っていた人形は、実はひどくアンバランスで。何かが欠けている。むしろ始めから持っていないのかもしれない。

その目は何も見ていない。何も見ていないのに、まっすぐ深く静かに確かに何かを見ているのだ。今にもこぼれ落ちそうな、憂いを含んだ目で。悲しいよりも乾いた。淋しいよりも深い。イタイイタイ目で。溢れ出しそうな、そんな目で。

私の知っていた人形たちの目は、いつも怖かった。何も語らなかったから。何もないことは怖いこと。そこにすっかり自分が取り込まれてしまうようで、怖かった。カタンドールは私を取り込まない。私を決して怖がらせない。

人に愛されるだけの人形ではなく、人を愛することのできる人形に

あの目は誰かを愛している目だろうか。

子どもの頃、真夜中のベットの中で、そこにある自分の肉体と、それを改めて意識している目に見えぬ自分との接点が探せなくて、悲鳴をあげたことが有ります。

彼は「安心する」という。カタンドールを見て「このままでいいんだよと言われてるような気がする」という。私の彼は無口ではない。が、決して多くを語らないから(私のように)そのコトバの真意は分からないけれど。だから、だけど、彼のコトバに私はいつもどきまぎしてしまう。少ないコトバと彼は、とてもしっくり馴染んでいるから。

だから私も時に黙る。黙って彼の側にいる。どんなに長く暮らしても、彼は私を時々ひとりぼっちにする。置いてきぼりにするから。

悪いこと。良くないこと。痛いこと。ただ気持ちが良いこと。暗いこと。寒いこと。光がないこと。闇の中。いけないこと。考えてはいけないこと。惹かれてはいけないこと。怖いこと。考えるだけで怖いこと。だとばかり思っていたこと。彼の宝物を眺めていると、だとばかり思っていた自分を見失う。そして少し楽になる。少しくつろげる。そこでは何の言い訳もいらなくなるから。

あの日も彼は言った。泣き言を繰り返す私に「お前はただの偽善者なんだから、なんにも頑張るな」と。彼のコトバに私は黙る。黙って向かい側の席にいる「俺の言うことをちゃんと聞け、そして学習をしろ」そう言って、彼は黙った。

私は、彼のコトバを聞きながら、ああ目が綺麗だなぁとか、そんな関係ないことばかり考えていた。

                  2001-11-15/巻き助