私の絵日記/藤原マキ/学研M文庫/2003年/

この本は、つげ義春夫人が遺した、一家の日常をつづった絵日記です。他にもエッセイ画集写真が載っており、巻末には「妻、藤原マキのこと」と題した、つげさんのインタビューも収録されています。つげさんの漫画と合わせて読むと、感慨もなお一層深まるようですね。

つげさんも言うとおり、マキさんの絵は「素朴なタッチで稚拙」だと思う。私が言うのもなんだけど、決して上手ではないし貧乏臭いし格好悪いし雑なようにも見えるけど「神経質なところはなく、子供っぽいのびやかな面」があって「それなりの味」があって、ついつい引き込まれて見てしまいます。

マキさんの絵を眺めていると、脱力したような気持ちになってくるのですね。気持ちが「へにゃあ」としていくんですよ。特に「画集 藤原マキの懐かしい風景」は、良い感じです。旦那様である、つげさんを連想させます。いつか見た夢のような、懐かし怖いそれらの絵を見ていると、ああ、この人はつげさんとおんなじモノで出来ていたんだ、二人はきっと地続きなんだと思わずにはいられないのです。

日記の方は、家族の毎日のことー夫婦ゲンカ、正助くんとの散歩、古道具屋さんでの買い物、つげさんの「すいとん」、家族でひいたしつこい風邪、つげさんが「不安神経症」にかかったいきさつなどーが書かれています。マキさん本人も書いているのですが、前半は楽しく、後半は暗く。特につげさんの発病前後は不安と疲れが色濃く漂った日記になっています。それでも、マキさんの絵と、ふうっと息がつけるようなささやかな出来事が、この日記を深刻にはさせてくれませんでした。

ですが、この本を読み切って、どうにも気持ちが沈んでいくのです。

この絵日記では、ささやかな生活を大切にしているという雰囲気になっていますよね。でも、実際はそうでもなく『平凡なぬるま湯のような生活は嫌だ、太く短く生きたい』というのが彼女の口癖でしたね。むしろ家庭に波風を立て、ぬるま湯を沸騰させたかったようでした。(妻・藤原マキのこと つげ義春著)

つげさんのインタビューは、紙面を借りての夫婦ゲンカで。マキさんへの最後の反発のような気もします。

つまらぬことでケンカを吹っかけてくるのはいつも彼女のほうなんです。ほかにもケンカの話がありますけど、その事情を説明せず、自分だけが苦労しているように部分を切り取っているので、僕にも言い分があるのです。(妻・藤原マキのこと つげ義春著)

言い分も分かります。笑って読むようなエピソードなのかもしれません。夫婦とはそんなものかもしれません。それでも、ケンカを吹っかけてばかりいたマキさんを思うと、切なくなります。太く短く生きたいといいながら「へにゃあ」とした絵で和ませてくれたマキさんを思うと、切なくなります。女優業に見切りをつけ、芸術に焦がれながらも毎日に生きていた彼女を思うと、切なくなるのです。

何かを語ることは、切り取ること、編集することであり、私だけの物語をつくることになります。それは詰まる所、誰かとの溝をよび、決して溶け合わない人と人を浮かび上がらせるのです。あんなにおんなじモノで出来ていると思った二人も、悲しいぐらいにヒトリなのですね。

お互いの思い入れも濃くなりすぎて、相手との距離も保てなくなったのではないかと、そんな気もしているのです。反発し合いながらも、同時に依存もしていたのではないでしょうか。だから先立たれてからは、僕はひどい喪失感、虚脱感を覚えもう何をする気力もなくしてしまったような気持ちになっております。(妻・藤原マキのこと つげ義春著)

二人はきっと、よい夫婦なのですね。

結局の所、私は何も分かってないのかもしれません。夫婦とか、愛とか、ずっと一緒にいることとか。

だけど、ケンカは嫌いなのです。本当に本当にむ悲しくなるから。

                  2003-01-29/巻き助