このお休みの間の出来事

makisuke2004-06-27


馬刺しを食べて、温泉に入って、蕎麦屋に行って、辛み蕎麦を食べて、辛み大根はとっても辛いけれど、蕎麦湯で割るととたんに甘くなって、その蕎麦湯に、付いている焼き味噌を溶かしつつ飲むのが美味しくって、母親自慢のサンマのスビテ(〆サンマのことみたい)とサバの山椒煮といなりずしを堪能して、蛍を見て、友達の墓参りに行って、おばあちゃん(母の母)に会ってきました。

久しぶりに会った、友達のお母さんは、元気がなくて痛々しかった。顔色も良くなくて、目もうつろで。娘を亡くしてから、崩してしまった肉体と精神のバランスはなかなか戻ってはくれないみたいだ。亡くした娘と同じ年の私が、(元気そうな)顔を見せるのは彼女にとって良いことなのだろうか?無神経ではないだろうか?そう考えるとついつい足が遠のいてしまう。こっそり墓にだけ参って、帰ってきてしまうこともあるのだけれど。

友達のお母さんを見ていると、映画「息子の部屋」を思い出す。大切な誰かを亡くす。ということは、今の世の中ありふれていて珍しくはなくって。それでも、それを乗り越えていく(喪の仕事)のは、誰とも一緒にできない、孤独な長い仕事なんだなって。友達のお母さんには、元気になって欲しいけれど、私には何もしてあげられない。「してあげられない」を前提に、彼女が望むなら、いろんな話をしに行きたい。少しの時間一緒に過ごしたい。

それにしても、誰かをこんなにも悲しませてしまう、私の友達は、本当にダメな人だ。本当に本当にダメな人だと思う。友達の墓からは彼女の大好きだった山々の景色が、良く見える。スバラシイ景色の中に眠っているのだよ。

久しぶりに会ったおばあちゃんは、パワフルだった。圧倒された。痴呆も進んでいて、ほぼ寝たきりだったのに、ますます弁舌が冴えていた。大正生まれのこの人は、面白い。発言がブラックを帯びていて、周囲をハラハラさせているとか。短い時間で、その片鱗が垣間見れる。私の連れ合い(A)を捕まえて「この娘は(私ね)ちょっと強い所があるでね。まあ、大したことはないけえーどね、とにかく負けちゃいけんゼ、勝たなきゃ」と、謎のエールを送っていた。