サングローズ/Cocco 昔のreviewから

サングローズ
「焼け野が原」を歌うCoccoの声は、今まで聴いたどんな歌声よりも突き抜けていた。強くて、まるで天に召されるようなすがすがしさに満ちていた。「活動休止」という彼女の決断を、私は改めて、しっかりと受け止め、胸に刻んだ。
 
初めてCoccoを見たのは、スペースシャワーの中だった。いちごポッキーをかじりながら、アダルトビデオの女優のような、いかがわしい匂いをさせて「うたうことはうんこをすることといっしょ」と、とろんとした目で話していた。

ブーゲンビリア
初めてCoccoを聴いたのは、旅行で那覇のCDシヨップに立ち寄ったときだった。ヘッドホンから流れてくるCoccoの叫びに釘付けになった。素足ですくっと天に向かって立っている彼女の姿が、目に浮かんだ。沖縄から戻って「ブーゲンビリア」を、本当にすり切れるように聴いた。

 初めてCoccoに会ったのは、赤坂BLITZ。裸足の彼女は、白のノースリーブのワンピースをすとんと着て、やはり天に向かってすくっと立っていた。立ち姿のきれいな人だった。「言いたいこともいっぱいある。言いたくないこともいっぱいある」そう言い放つと最後の曲を歌いきり、そのままマイクを置いて、バレリーナのようなお辞儀をし、彼女は何処かへ消えてしまった。

「サングローズ」Coccoの最後のアルバムが、今日私の手元に届いた。少しでも早く聴きたくて、薄いビニールを破る手が少し震えた。

いつもと変わらぬCoccoがそこにあって、だけどすべてを突き放した声が、今まで彼女が届けてくれた数々の言葉を思い出させた。どうしてあんなにも、Coccoの声は私に届いたのだろう。

TVで、クリップで見る彼女の目は、引き裂かれそうな、何かと戦っているような、楽しんでいるような、ぎりぎりの目をしていた。Coccoの目が忘れられない。

彼女は世の中との折り合いの付け方を知ったのだろうか。私はCoccoの決断を悲しいこととは思わない。彼女は、潮に焦がれて、帰るべき場所に向き合えたのだろうか。いつも、沖縄を背負って歌っていた。あまりに美しすぎて、眩しすぎて、目をそらさずにはいられなかった沖縄を。あまりに焦がれて、あまりに求めすぎて、こんなにも遠く離れてしまった、沖縄を。彼女は言った「みんなが沖縄を大事にして下さい。あっちゃんも東京を大事にします」と。私はその時から自分のフルサトを愛するように、この東京を愛そうと思った。区画整理で昔の景色が失われつつある、私のフルサトを愛そうと思った。

Coccoの歌を聴いたときから、いつかはこんな日が来ることは分かっていた。

見送る方の、留まる方の立場になりたくなくて、あの日フルサトを後にした日の事を思い出した。一人一人が去っていき、カタチを留めなくなった劇団のことを思い出した。追いかけても追いかけても追いつけなかった背中のことを思い出した。変わらぬモノなどないと、Coccoはいつも歌っていた。人の想いは縛れないと。だから、Coccoの旅立ちも縛れない。「でも大丈夫 あなたはもう 私を忘れるから」私はCoccoのことを忘れるだろうか。

「たとえあなたが離れていっても 歌を歌おう 歌を歌おう 歌を歌おう 歌を歌おう」Coccoは最後まですくっと立っていた。あくまでも青く深い空を目指して。最後まで立ち姿のきれいなままだった。

Coccoの歌を聴くと膝を抱えたくなる。何度も何度も抱えては抱えなおして、どんどん小さく丸まって、置き去りにされた赤ん坊のように、そのやさしい闇の中にしばらくの間、漂って、いたくなる。世の中との折り合いが未だつかない私の中に、「風化風葬」がエンドレスで流れ続ける。

             2001-04-18/巻き助