ぶらんこ乗り/いしいしんじ

makisuke2004-12-05

ぶらんこ乗り
「ぶらんこ乗り」たった今、読み切りました。とってもとってもとってもとってもよかったです。はじめの辺りは、読み進めるのがもったいない感じでそろそろと読んでいって、真ん中辺りは(好きすぎて)読み進めるのが苦しくなってしまってなかなか読めなくって、終わりの辺りはもう、何も考えずに一気に一心に集中して読み切ってしまいました。そして気が付いたら、ホントにもうボロボロと泣いていました。

例えば簡単に目にすることが出来る、この小説のあらすじや紹介文などから感じられる(想像できる)「とっても心のあったまるしみじみとしたよい本なのだろうな」というありきたりの予想を、軽くやっつけちゃうような。そんな、力(物語力と書き手の力量)を持った本ではないかと。だから、たくさんたくさん出てくるよい文章も、たくさんたくさん出てくる心に残るよい考え方も、たくさんたくさん出てくるよい登場人物たちも、あったのだけれど、そういう細かなことをあげつらう気にはならなくなってしまって。この本を前にして。とにかくストーリーだけじゃなくって、書き方も良いので(終わりの辺りのタイトな感じは本当にたまらない)。すごい作家さんだな。とも思ったけれど、それもまた些細なことのような気になって、どうでもよくなってしまうような。とにかく、そんなひとつの大きな完成されたモノとして捉えた時に、とにかくスバラシイ本だと思うのです。

読んでいる私は、やっぱりこのお姉ちゃんの気持ちになって読んでいました(私には三人の妹がいるけれど)。このお姉ちゃん同様、私はちっともお姉ちゃんらしくない、お姉ちゃんだと思います。姉らしいことには興味がないし、姉らしくしようなどと考えたこともないし、ダメな所だらけの姉だけれど、それでも、世界と手を放してしまいそうになる、あっちとこっちの間で懸命に振れている弟君のことを、自慢に思い愛しく思いかけがえのないモノと思い、自分の歩幅で感じていく所は、一緒と思いました。そして、弟君の作る楽しいものを素直に笑い、もっともっとと言う所も、同じと思いました。そして、いつでもいつまでも必死になってその時その時に、手を繋いであげようと思う気持ちも、一緒と思いました。私がそう強く思うことで、何かが「大丈夫になる」と心から信じている所も、一緒と思いました。

「わたしたちはずっと手をにぎっていることはできませんのね」
「ぶらんこのりだからな」
だんなさんはからだをしならせながらいった。
「ずっとゆれているのがうんめいさ。けどどうだい、すこしだけでもこうして」
と手をにぎり、またはなれながら、
「おたがいにいのちがけで手をつなげるのは、ほかでもない、すてきなこととおもうんだよ」

私も自分のふるえを感じます。そしてアナタのふるえも感じます。私には伝わるのです。そう強く強く信じる時、わたしのいとしいいとしいあの子が、きっと世界の何処かで、私に手を差し伸べていると思うのですから。その手を私は命がけで握ってあげなくては思うのですから。

そして最後に、この本からは全く「いしいしんじ」という人が透けて見えてこないのです。これは本当に凄いことで、きっと本物の書くために生まれてきた人なのだ。物語という名の世界のふるえを、言葉という形にして世界に伝える人だと、そう強く思いました。

この本と、この本を読むために費やした時間に、感謝します。ありがとう。