介護マシーンとしてのワタクシ

昨日こんなことがあった。仕事先のおじいさん(95歳)に夕ごはんをよそって出した。メニューは薄味の麻婆豆腐と大根の煮物と春菊やはんぺんの入ったお清しと柔らかく炊いたご飯だった。「減らしてくれない?」という「いいですけど、食欲ありません?」と、私が聞き返すと「昼間、いっぱい食べちゃったから」と言う「昼間のヘルパーのおばさんはな、料理の腕に自信があってな、残すと顔を潰しちゃうだろ。だから頑張って全部食べるようにしとるんじゃ。お前さんは、残しても怒らんじゃろ?」と。

男って幾つになっても可愛いなぁと、唐突に思った。可愛い爺さんではなくって、この時この人は、実に可愛い男だよなぁと。この時のこのおじいさん、95歳なんだけど、私にとっては全然ストライクゾーンで。その後の笑顔がとっても良かった。


話は少しズレるけど。私は(それがヘルパーとして良いか悪いかは別にして)なるべく本人のやりたいようにやらせてあげたいと、そう心掛けてる。いつもいつでもそうありたいと。もちろん命に関わることやしなくてはならないことは確かにあるのだけれど。出来得る限り相手のペースで相手のやり方で、やって欲しいと思ってる。または相手のペースに相手のやり方に、面白いように振り回されている自分を発見するのが楽しかったりする(介護と育児は少し似ているかも知れないと、子育て未経験の私が言ってみたりして)。そこに私が上手く取り込まれて、乗っかって、その流れの中であくまでも自然にサービスが出来たら、こんな良いことはないと。

2時間のサービスなら2時間の中で、ホントに押さえておかなくっちゃいけないポイントって、案外少しで。後は臨機応変、悪い言い方をするなら適当に、いい加減に(良い加減に)、相手の時間に組み込まれているのが私は好きだ。それが静かで穏やかな時間なら、なおのこと。仕事の中では、自分のやり方とか自分という人間とかは、全く問題ではなくって、自分の「我」みたいなモノが、必要でなくなっていく(もしくは消滅していく)感じが時々して、その瞬間が私はとても好きだ。その時間が忘れられなくって、私はきっと仕事を続けているのだと思ってる。