対岸の彼女/角田光代

makisuke2005-01-13

対岸の彼女
昨日ベットの中で半分、今日仕事の合間に半分といった分配で、角田光代の新作「対岸の彼女」を読み切った。良かったです。とてもとてもとても。恥ずかしい話だけれど、私は泣いてしまいましたよ。終わり間際の何ページかは、ホント堪え切れない感じで。女子は必読の本でしょ!とも思ったりするけれど、私は私の感覚がノーマルとも思っていないので、あまり自信はないんだけど。女子全般にどうなのかとかはね。それでも女子に、女の人に読んでもらいたい本だよなぁとそう思う。だって女という生き物は、男より確実に強く相手との共感や共有を求めるものだと思うから。だから、どこか女同士でないと埋められない、分かち合えない気持ちというのが確かにあって、その気持ちを強く意識すると誰と暮らしていたって、誰と生きていたって「ヒトリボッチ」だよなぁと強く感じてしまうから。そして(たった今の発言と矛盾してしまうかもしれないけれど)この本を読んでいると、私の中にも強く存在している「ヒトリでも大丈夫」を強く強く思い出させてもくれるのだし。また(たった今の発言とまたまた矛盾してしまうかもしれないけれど)分かち合える、共感していける大切な誰かを強く強く欲してしまったりもするのだよ。

これまで読んだ角田光代という人の本は、とにかく痛かった。それも他人事の痛みなどではなく、幾分か自分の中に存在する膿んだ部分暗い部分病んだ部分を刺激してくる痛みで。その痛みを味わうことを承知の上で、頁を捲るといった、ある種マゾッ気を刺激するような読書だった。私とあまり年の変わらない、何処にでもいそうなダメな女を書かせたら、この人の右に出る人はいないんじゃなかろうか?と思ってしまう。そのダメぶりもまさに多種多彩で、私はいつも感心さえしてしまうもの。

今回のこの本も、確かに痛みを刺激してくる本だった。だけど痛みを越える快感が確かにあった。前作の「庭の桜、隣の犬」は未読なのではっきりしたことは言えないけれど、この人はこの本で、ヒトツ先に進んだんじゃなかろうか?突き抜けたのじゃなかろうか?とも勝手に思ってしまった。もしもこの本で候補に上がっている直木賞なり*1を取れるのなら、ホント素晴らしいことだとも思いますよ。

この人の人物の書き方は、とにかく上手いなぁと思ってしまう。ヒトリの人のいろんな顔を書き出してくれる。美しく見えていたモノの脆さとか、強く見えていたモノの危うさとか。その足元のあやふやさ、見えていたものの不確かさをまざまざとしらしめてくれる。人間の持ってる空洞を見せつけてくれる。人の持つ気味の悪さを見せつけてくれる。そしてこの本は、それでも信じたい、求めたいっていう、シンプルで力強い気持ちを、思い出させてくれる。結局、強く美しくいられるということは、同じだけ汚さや弱さや不甲斐なさを持っているってことなんだなとか。ちょっとありきたりかもしれないけど、そんな感想も持ちました。まだまだ言い足りなくはあるけれど、とりあえず今日はこの辺で。

*1:受賞したらしいですね、直木賞。ヨカッタヨカッタ