まちわび まちさび/クラムボン
引っ越しが近づいています。引っ越しが近づくと、この曲を思い出します。あの頃も引っ越しを控えて、繰り返し繰り返しこの曲を聞いていたなぁって。そんなことを思い出します。西荻窪をあとにして三鷹に移ったのは、もう4年も前なんだなぁって。
新曲「サラウンド」がとっても気に入りましたよ。すぐに私をつかまえて、いつまでもいつまでもアタマの中で巡ってる感じ。気が付くと一日中アタマを独り占めてる歌ってあるでしょ?曲がり角を曲がるときに、不意に口ずさんじゃったり。掃除機かけながらリズム刻んじゃったり。早く新しいアルバム出さないかな?ってコトで、今日は「まちわび まちさび」繰り返し繰り返し聴いている。外は暑いみたいだけど、ここは涼しいよ。水の中みたいに。郁子ちゃんの少しざらっとした声が好き。鼻にぬけるような天辺に抜けるような声が好き。すぐ隣りにいるみたいで。リズムもいいな。軽いうねりを帯びた曲とリズムがとってもいいな。
「だんだん 駅前がもう
だんだん わびしくても
だんだん さびれてもでも
だんだん においのあるまち」あと十日でこの街を出る。十年暮らして、どんどん好きになって、曲がり角ヒトツにも思い出があるこの街と、別れることになった。誰かと暮らして、誰かと別れて、誰かと出会ったこの街と、別れることになった。近所の豆腐屋の二階に、妹も住んでいるこの街と、別れることになった。もう決まったこと。
十年前、イロトリドリの賑やかな街からここに来て---日向で慣れた目がすぐにはよく見えないように---この街は少しくすんで見えた。そのくすんだ街が、独特の色味を帯びていることに気が付いたのは、しばらくここに暮らしてから。
通りから隠れるようにある店を見付けては喜んで。そこをおずおずと訪ねて歩いては喜んで。お店の人とうつむき加減で話をして喜んで。桜の季節には、大きな桜の木を訪ねてやみくもに歩いては喜んで。川沿いを意味もなくただ歩いては喜んで。手をつないでは喜んで。手をはなしても喜んで。お気に入りの店は、お気に入りの椅子があって、お気に入りの窓から景色を眺めて、珈琲を飲んで本を読んだ。
手狭になった部屋を出るのは、ときめかなくもない。新しく暮らす街は、電車で二駅行っただけなのに、ポカッと空が広くって、少しだけフルサトの空を思い出す。内緒で飼っていた猫だって、今度は堂々とひなたぼっこだってさせてあげられる。緑だって、空だって、お日様だって、今よりずっと手に届く。
ばたばたと決まる引っ越しに、淋しいなんて言ってられない。ぎりぎりまでこの街でどうにか暮らせないかとあがいてみて、やっぱりダメだったから仕方がない。どんどん事態は流れはじめて、流れは誰にも止められない。
「ぜんぜん 駅前がもう
ぜんぜん わびしいほど
ぜんぜん さびしいほどに
ぜんぜん においのないまち」この街にはニオイがあった。私と同じニオイがあった。後十日で別れてしまうこの街は、私には特別な街だった。私はさみしさに押しつぶされないように、ボリュームをあげて、このアルバムを聞いています。