原因と結果

昨夜は咳止めの薬を飲んで、本当に久し振りにゆっくりゆっくの眠ることができました。薬が効いてよくお腹が空くと機嫌が悪くなる、子供のような人がいるけれど、私は眠たくなると機嫌が悪くなる、まさに子供のような人なので。とにかくたくさん眠れてホントに本当にヨカッタです。普段私はなるべくケミカルなモノをとらないようにしているのだけれど、あの悪魔のような咳の威力には勝てず、もうケミカルなモノは…とかなんとか言っていられなくなってしまって。薬屋さんに走ったのだけれど、どうも私はよくよく薬が効く体質のようで、咳は(時々危険な兆候が出始めそうになったけれど)嘘のようにひいてくれて、たくさん休む事が出来ました。

ちょうど同じくして、あまり嬉しくない(というか物凄く嬉しくない)メールというものを受け取っていて、それがあまりにも私に対して悪意に満ちていたので、私はこの体調不良は、呪いか何かの一種ではないかと、半ば本気で考えていたのだけれど。

おそらく私に投げつけたのとおんなじだけの不愉快な気持ちを、その人は私の文章から感じたのだろうと想像はつくのだけれど、それはあくまで想像で、やはり私にはよく分からない。相手の立場や状況に立つ事は、いつでも私には難しく、幾つになっても鈍感なのだ。想像力というのが欠けているのかもしれない。注意力というのが欠けているのかもしれない。言葉の選び方がマズイのかもしれない。人を思いやるという根本的なトコロが欠落しているのかもしれない。そんな殊勝な事を書き連ねてみていても、きっと私はまた同じような事が起きれば、同じような失敗をしてしまうのだと思う。今までだって不用意にどこかの誰かを不愉快にしているかもしれない、実際の悪意がこうやって私に届かなかっただけというだけで。そう考えると、不意に自分の立ち位置を見失ってクラクラしてしまうし、気持ちも体もとてもすくんでしまうのだけど。

それでも私は、私の一年ほど前の発言(文章)を、実際間違いとも、失敗とも、思っていなかったりもする。私はきっと何度でもそう感じて、そうコトバにしてしまうんだろうなと思うから。謝罪する理由は思いつかないし、たとえ謝ってもあれだけの悪意を育ててしまった相手には、私の謝罪なんて火に油を注ぐようなものなのだろうな。と、呪いを恐れながらも、ぼんやり考える。そして私は今のAとの暮らしがあまりに穏やかで、ゆるやかで、こういう感覚をすっかり忘れいたなと。不意打ちを食らって面食らっているなとも思ったりした。そんなことをツラツラと考えて。それでも悪いコトというのは、けっして降って湧いてくるものではなくって、原因があって結果があるというのが本当なので。良き事であれ悪しき事であれ、原因を作っているのは自分なのだから、いつでもどんな事態にも備えられる、体力と勘と気力だけは備えていたいなと、そんな事を思ったりした。

今回の事、謝罪はしないし、心からの反省もきっとできないけれど、自分の言った一言の重みは受け止めようと思う。そしてこれは降って湧いた不幸とは思わずに、一年前の私が招いた、当然の結果と受け止めようと思う。