夕凪の街春の国/こうの史代

makisuke2005-05-01

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)
「夕凪の街春の国」を読みました。こちらの日記を読んでid:HelloTaroさんとid:koume0805さんのやりとりを読んで、強く読んでみたいと思ったので。そしてこの本は、ネットでで注文したりはせずに、偶然出掛けた本屋で、すっと視界に飛び込んできた時に購入しようと心に決めていたのだけど、それがちょうど今日(先週の木曜日)だったわけです。高円寺に仕事で出掛けて、そこの本屋でこの本を見つけてすぐにレジに向かいました。そしてミスタードーナッツに飛び込んでアメリカンコーヒー(これはこれで嫌いじゃない)を注文して、2杯お代わりして読み切りました。

わかっているのは「死ねばいい」と 誰かに思われたということ
思われたのに生き延びているということ

そのくだりに、強く強く衝撃を受ける。「死ねばいい」という悪意を誰かにぶつけられるということ、そのダメージを、考える。それでも生き延びてしまったということに、いつしか「そう思われても仕方のない人間に自分がなってしまった」と考えてしまうというということを、考える。誰に否定されるわけでもない、自分の内から内から沸き上がってくる、自分を否定し続ける感情を、考える。そう考えずにはおれなくなってしまった人たちが、この毎日の当たり前の風景をどんな風に眺めているのかと、考える。この話を読んで私のアタマの中に浮かんできたのは、例えばオウムのサリン事件だったり、いくつかの通り魔的事件だったり、かの地で今も続いている戦争だったりしたのだけれど「死ねばいい」と、本当にきちんと悪意を持って、人は誰かを殺そうとしているのだろうかと、そう、考える。

十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?

殺した誰かは本当に「死んでもいい」人間だったのだろうか?切実な想像力と持続する悪意を、私たち人間は本当に持ちつづけることが出来るのだろうか?誰かを「殺す」という責任を、私たちは抱え続けられることが出来るのだろうか?こんな風に、終わらない物語を作ってしまったら、いけないんだよ。絶対に絶対にいけないんだよ。と、それだけは強く強く思ったのだけど、どうしても上手くは言い切れないので。P35の空白を、私のこれからのために取っておこうと思ったのでした。いつまでも。

この話は まだ終わりません
何度夕凪が 終わっても 終わっていません