介護マシーンとしてのワタクシ

makisuke2005-10-12

昨日は患者さんに殴られました。というか膝蹴りがまんまと顔面にフィットして、アタマがしばし真っ白になるぐらいの衝撃を受けました。今朝、痣が残っていたら嫌だなぁ。なにせ顔だし、なんだかドメスチックな生活を送っているように誤解されるのも面倒だしなぁ。と、気を揉んでおりましたが、痛みはあるものの顔に痣は出ていない様子で。ほっとしました。

当の患者さんは元々暴力行為のある人。ココロとカラダを病んでいる人。難しい人。でも無性に惹かれてしまう*1人。ワタシ(ワタシだけが)が長いこと担当している人。

「暴力行為」とは書いてみたモノの、ワタシには彼の行為が暴力行為というよりも、コミュニケーションのヒトツだと理解していて(この理解が正しいことなのかは分からないけれど)、殴られたり蹴られたりが、実際苦痛ではないのだなーまあ、そのまんまを同僚に話したりするとドン引きされてしまうので、言わないようにしているのだけれどー。殴りかかったり蹴り付けてきたりすること、それを受け止めることは、ワタシにはちっとも苦痛ではないのだな。むしろ、彼の場合には必要なのだと強く思ってしまうから。

だから、ワタシが今、凹んでいるのはそんなことではなくって。人の欲望の様をありありと見せつけられたからなのだな。きっと。

普段は機能しているその欲望制御装置がー病気のためか加齢のためか、はたまたそもそもその人がそういう人であったからなのかは、分からないけれどーぶっ壊れていて、剥き出しになっている様を見せつけられたからなのだな。食欲や排泄欲や性欲や名誉欲や金銭欲や。もって言ってしまえは、生き続けていくという強い強い欲。当たり前に必要で、誰もがそもそも持っているその欲を、何に包み隠すことなくダイレクトに見せつけられて。ワタシは凹んでしまったのだな。目を背けたくなるような、吐き気を覚えるような、生き続けていくことにも嫌悪を覚えてしまうような。自分自身がおぞましく思えてくるような。そんな、気持ちになったのだな。きっと。そんな時、今、目の前で見せられているモノは、そういう生々しいものから逃げよう逃げようとしていた自分への、罰ゲームなのではないかと、思ってしまったり。「人生の罰ゲーム」は生まれてきたことなのかなと、思ってしまったり。

「原罪」というコトバをワタシは普段理解しあぐねていて、肌身で感じることが出来ないのだけれど。時々感じる一抹の感覚。「生まれてきてごめんなさい」という誰に詫びるわけでもないのに沸き上がるこの気持ち。もしかしたら、ソレがそーなのかもしれないね。なんて思ったりした夜でした。夕ごはんはしっかり食べましたけど*2

 

*1:この感覚は上手く言い表せない、ただ漠然と縁みたいなモノを強く感じる。ワタシが長く担当している人には、やはり強くエニシみたいなモノを感じずにはいられないのだ

*2:おでん三日目、今日は厚揚げとガンモとコンニャクとちくわぶが美味しかった。里芋の煮っ転がしと出汁をとった残りの昆布を煮付けた。料理というのは、出汁をとったり下ゆでをしたり、つくづく地味な作業の積み重ねだと思いました。