それを「つぐない」というのかもしれません

makisuke2005-10-18


古い話で申し訳ないのだけれど、クウネルの15号のいしいしんじのインタビューを読み返している。読み直してみると、ワタシがナゼいしいしんじという人に惹かれるのかが手に取るようによく分かる。

「世の中と自分は無関係でひとりぼっちなんだ」という気持ちがたぶん、常に心のどこかにあって、それを前提に物語を書いている。すべては、僕の中からにじみ出た話。

そして全く関係ないことだけれど、Aさんと久し振りに喧嘩をしました。キチン(?)と喧嘩をしたのは、おそらく3年〜5年ぶりくらいじゃなかろうか。喧嘩をすることはちょっとしたリフレッシュで日常茶飯事という人もいるだろうけれど、ワタシと彼は、上手く喧嘩をすることができない。上手く出来ないので、喧嘩はしなくなったのかもしれないと思うくらい。喧嘩ベタ。大きな喧嘩も小さな喧嘩もとにかく下手。諍いが起きると、相手に向かうよりもお互い内向してしまい、ひたすらに自傷的な行為に走ってしまう。疲弊してカラダもココロもとことん衰弱していくし。いいことなんかなんにもない。

幼いころから、自分と世界の距離感を常に意識してきた。突き詰めれば、「自分が今ここに存在していること自体が、大いなるねじれ」なのだと、いしいさんは言う。
「たとえねじれてしまっても、毎日を丁寧に暮らしていくことで、元に戻すことはできる。ポーの言葉でいうなら、それを「つぐない」というのかもしれません」

そして話を戻せば、いしいしんじの話のインタビューを読み返しながら、ワタシとAさんは、ある部分がおそらくとても似ていて。おんなじように「世の中と自分は無関係でひとりぼっちなんだ」と感じているんだと思う。そんな二人が出会うことが出来て、一緒に暮らすことが出来て、ねじれを丁寧に暮らしながら元に戻そうとしているのだとしたら、とても嬉しい。だから、諍いが起きると、起きてしまったというだけでとても悲しいし、絶望的な気分になる。だから二人とも争いたくないと、ココロの底から思っているのだと、そう思う。

今日は仲直りができました。また一緒にごはんを食べたり、テレビを見たりして、ねこに触ったり、いつものように過すことができました。とても嬉しい。明日からまたごはん日記も写真もはじめようと思う。