空中庭園/豊田利晃@ユーロスペース

makisuke2005-10-25

物語の展開と結末に触れていると思います。そのつもりでお願いします。

人は皆、血塗れで泣きながら生まれてくるモノなのだ。たったヒトリでひとりぼっちで。そして生きていくということは、繰り返し。やり直し。繰り返し。やり直ししながら、少しずつでも、明るい方へ正しい方へと進んでいるのかもしれない。導かれているのかもしれない。と、そんなことを考えて。ばっさりと気持ちが明るくなった。抱えている記憶は、自分の中で、少しずつ書き換えて。作り直して。書き換えて。作り直しながらやっていけばいいのかもしれない。と、そんなことも、考えた。きっと、今、この世の中に生きている総ての人たちは、明るい方へ正しい方へと向かうことが許されているのではないか。と、この映画を見終わった後の率直な感想は、生きていくことへの全肯定なのでありました。

この監督の「青い春」を見た時も感じたのだけれど、原作を(原作者を)ここまで読んで読み込んで噛み砕いてくれる人というのは、この監督をおいて他にはいないのではなかろうか。ワタシは、原作では漠然としか感じることの出来なかった、救いのようなモノを、この映画でもって、完璧に感じることが出来たように思う。

角田光代の原作は読んであった*1ので、はじめのうちは映画の流れのぎこちなさと唐突さが気になった。ぶつぶつとした展開に、原作の気怠さや漠然とした空気が描ききれていないようにも、感じたりした。その分、随分ホラー的に恐ろしく作ってあるのだな。なんて思いながら見ていたのだけど、そんな気持ちも終いまでは続かなかった。絵里子が生まれ直す、あの血塗れの雨のシーン(キャリーを思い出した)で、ワタシの内蔵からも叫びとも泣き声とも言えないモノが、搾り出されてくるようだった。私たちは愚かで浅はかで馬鹿馬鹿しい生き物だけれど、いくらでもやり直せる、生き直せるのではないかと、そうココロから思ったのだ。

右に左に大きく揺れるカメラが、不思議と不快ではない。物悲しいけれど、なんだか心地よい。安定しない地に足のついていない気持ちを、どこかへあてもなく移動しているような気持ちを、ワタシごと盛り上げてくれる。いつの間にか、自分もこの映画に乗り合わせているような、一員のような錯覚を抱かせられていた。そして、ワタシが何処へ連れて行かれるのダロウ?という感覚を久し振りに味わった。この監督の撮る映像も、やっぱり好きだ。ぼつりぼつりと降るような落ちてくるような音もヨカッタ。ラストは呆けていたので、UAの歌う主題歌を覚えていないことに、今、気が付いた。

ラスト間近、ドアに向かう小泉今日子の表情が忘れられない/絵里子という主人公にはじめて浮かぶ、温かい顔/小泉今日子という人は、とても良い顔をする/年齢相応の疲れと気怠さと絶望のようなモノをちゃんと持っている人なのだな/大楠道代は本当にカッコイイ/ただいるだけで、覚悟のようなモノを感じてしまう/赤目四十八瀧心中未遂の時にも痺れたけれど、今回もまた痺れてしまった/着物とタバコがすっげえ似合うし/なんてったって声がいい/