ぱくっといただいてしまおうと思っています。

たぶんね。その年の離れた人は、心配をしてくれているのだろうけれど。私は安心をしていて欲しい。私に楽観していて欲しい。それが一番のご褒美でご馳走。なんですよ。心配をしているというメールに。心配をされるのは心苦しいので、安心をしていてもらえませんか。と返事を書いて送った。心配しているというメールは時々届くけれど、その人に、大丈夫だから安心していて元気だからと書いて送っても、いつも了解してはもらえない。それはすごくさみしい。まるで私は大丈夫で安心で元気な人でいてはいけないような気持ちになって、悲しくなる。私を否定されたような気持ちになる。大丈夫と言いながら人は大丈夫になる。元気と言いながら人は元気になる。安心と言いながら人は安心に包まれる。コトバにはいつだって責任が伴うのだから、だから少しずつでも私は自分のコトバに近づいていかなくっちゃならないんだから。だから、また、ヒトリ書くことを始めたのだから。


誰かに何処かでいつも気にかけてもらえていることは、うれしいこと恵まれていること。だけど、誰かの「大丈夫」に、大声で「了解!」と一言答えることの方が、私には好きで大切で必要。と思う。それが私の親しい人たちとのやり方だったし、気に入った誰かとの合図だったから。


「大丈夫」には、きっといろんなカタチがある。だから、これからの私が辿り着くのは、どんな「大丈夫」かは分からないけれど。必ず私なりの「大丈夫」が待っているはず。それだけには、自信があるから。見栄や嘘やキレイゴトなんかじゃなく、私はココロノソコカラ、今の私の毎日を悪くなく(いや、むしろ結構よく)思っているのだから。もし、心配をしている年の離れた人と彼のいう「みんな」に、私の気持ちが届いたら、うれしいと思う。


と。キーボードを打つ手を休めた。ら、今、いろんな音がぶわぁんと聞こえてきて、ちょっとびっくり。冷蔵庫が気合いを入れ直すぶおおおんという音/遠くの車のクラクション/ピシッと部屋が軋む音/水滴/風の音/そして、寝息。二匹の丸まった動物と、ヒトリの酔っぱらって伸び切った人間の。大きい小さい、様々な動物達の眠りながらたてる音。少し雑多であったかい音。


誰かの眠りながらたてる音は、空気をまあるく柔らかくする。世界をゆるめるのだよ。そんな、あったかい空気に包まれて、私もまあるく柔らかい眠りを、ぱくっといただいてしまおうと思っています。あますことなく。ねえ。こんな私なのだから「大丈夫」。なのですよ。本当に。


[cinema][comic]ストロベリーショートケイクス
 Strawberry shortcakes (フィールコミックスGOLD)


映画「ストロベリーショートケイクス」をみて。ナナナンの漫画「ストロベリーショートケイクス」を読んで。両方で私の中の「ストロベリーショートケイクス」が完結した。みたいに思った。映画はきっと池脇千鶴とナナナン本人のキャスティングが膨らませた物語なんじゃないのかな?なんて偉そうに思ったりしたりしながら。キクチの以外に大胆で丁寧なセックスがやさしいなと思ったり。終始「あまり美味しくなさそうというか、実際不味そうなラーメン」が食べたかったり。ぷしゅうと缶ビールを開けてみたくなったりしながら。映画には映画だけがもてる、色や音や空気の感じなんかを思いっきり楽しんだ。


映画の中の、生々しくて汚くって目を背けたくなるような感情から産み出される、限りない「美しいモノ」「よきもの」から目が離せなくなった。


映画の中の塔子さんの描くその「よきもの」は、本当に美しく柔らかく。温かさをもって私の目に映った。それを産み落とした後の、あの塔子さんの解放されたような表情が忘れられない。光の中に眠る彼女のカラダは、あまりにイタイケで、痛ましくて。抱きしめてあげたくなってしまった。あのカラダとココロで、どこまでヒトリで行くのだろうかと。


ナナナンの漫画は、いつも女の子たちの方がより痛んでる。強くなく描いてある。いつだって余計に傷ついて忘れられずにいるのが女の子だって描いてある。弱いのは情けないのは、男の子の役割ですからと。何時からか誰からか言うようになったけど。けどけど、ナナナンは、それでも、でもでも、やっぱり女の子をかわいく、脆く、愚かで、あまあく描いてある。どちらもきっと、本当だけれど。強いのも弱いのも。早いのも遅いのも。でもでも、やっぱり、時には私も、かわいく、脆く、愚かで、あまあい気分になって「ストロベリーショートケイクス」の世界に触れたりする。触れて少し涙ぐんだりする。涙ぐんで少し思い出したりする。


漫画のラストシーン。秋代さんが、ずっとずっと好きだった菊池に好きだといって。やっぱり答えられないと言われるんだけれど。それでも、でもでも、あまりの菊池の可愛らしさに、秋代さんのいままでと秋代さんのこれからが一遍に救われるトコロ。すっごくすっごくよかった。こんなラストもちょっといいよね。って。


 「神様
  ほんとは
  あなたなんていない

  あたしはこんなふうに
  菊池を手に入れるのだ」


誰かを手に入れるのって、きっときっといろんな方法がある。答えはヒトツなんかじゃないはず。だけど、本当の思いには、きっと本当の答えがかえってくるはずで。どんなカタチであろうとも、形や姿や関係を変えようと、私たちの元にきっと帰ってくるはずで。だから私たちは、いつだって何かをきっと手に入れられる。スペシャルな。何か。うんとうんといいもの。