タクシデルミア ある剥製師の遺言/パールフィ・ジョルジ 

柳と桜

 

イメージフォーラムにて、楽しみにしていた 「タクシデルミア ある剥製師の遺言 」をみる。この監督のデビュー作「ハックル(http://d.hatena.ne.jp/makisuke/20051118#p2)」は、わたしの2005年の忘れられない映画の一本でもある*1


ブリキの太鼓」や「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」の鬱屈とした世界を思いだしながらみた。この世界、うん、決して嫌いじゃない。物語は、親子3代にわたる妄想と欲望を追い求めた男達の物語と言えばいいのか、いろんな欲にがんじがらめに生きる親子の物語だ。祖父は戦時下の中、妄想に耽りつつ性欲という欲望に取り憑かれる。父は食欲とは無縁の食べ続けるという欲に取り憑かれる。息子は剥製という形での命との引き換えの永遠に生きるということに取り憑かれる。それぞれの欲望は常軌を逸していて、それがおとぎ話のように凝縮されていて、それぞれの生活や思考や生命を蝕んでいく。

 

食べ物の禍々しさ具合は、やっぱりかわらない。この監督は食べ物というモノに一抹の憎しみに近いものを感じているのかなあと思わずにはいられない。際限なく食べ、吐きだしては食べている男の姿は愚かだ。食べ物が実に醜く見えてくる。それでも、単純に常軌を逸して太ってしまった人をみるというのは、ある種映画の中で味わえる娯楽のようなものだし、剥製を作る場面の肉の様は美しく、まさに息を飲んでみとれてしまった。その作業場の風景も実に見事で愛らしかったし、臓物が取り出され液に浸されていく様は、ほんとうに奇麗で静謐で、死体から漂うはずの生々しい匂いが感じられなかった。ただ美しいものとしてわたしは見蕩れていたように思う。それはしあわせな時間でも確かにあった。そんな、わたしも見続けたいという欲に囚われていたかもしれない。だからだろうか?見終わって残る一抹の物足りなさ、見たらなさにも囚われた。まだまだもっとと思う気持ちが拭えなかった。もっとじっくりとこの世界を見せて欲しかった。「ハックル」を見た時、この監督は五感に働き掛ける人だとわたしは感じた。たぶんそれは誤解ではないと思う。見るという欲はある程度満たされたけれど、耳が鼻が肌が、もっともっとと映画に求めてしまったからではの、この物足りなさなのかもしれない。おとぎ話という体裁をとらなくてもー「ハックル」のなかにあったような、空恐ろしさやひっそりとした毒や不思議な視点をこの監督からみせて欲しいと思った。もっともっとわたしのいろいろを刺激して欲しいと思った。そう言えば、最近五感に訴えかけてくるような映画ってあんまりないのなー。とか、思いながらの帰り道でした。まあ、このどうしようもない見足らなさを満たすため、それからわたしはいそいそと「ノーカントリー」に足を向けたのだけどね。

*1:今、イメージフォーラムでレイトショーかかってます