僕のスウィング/トニー・ガトリフ

makisuke2003-02-04

僕のスウィング [DVD]
スゴイことになっている(のか?)!「ボーリング・フォー・コロンバイン」を観に行って、予告編でこの映画「僕のスウィング」が流れ始めた。先週渋谷のシネマライズまで足を運んだ、トニー・ガトリフ監督の新作である。

予告編である。短い時間である。それでも気が付けば、私はうっとりとその画面に観入っていた。私はそこに映し出される映像のすべてを、鮮明に覚えていた。どの場面も、しっかりと私の中に残っていたのだ。そしたらたちまち、温かいもの、懐かしいもの、こそばゆいものが胸に溢れてきて「あの感じ」に包まれてしまったのだ。

私は嬉しくってたまらなかった。予告編を観るまで、きっと「僕のスウィング」のレビューは書かないだろうな、と思っていた。今思えば、頭でっかちの意地の悪い観方をしていたんだと思う。それはこの監督に対する「思い入れ」のようなものかもしれないけれど。それが、たった何分かの予告編を観ただけで、ああ、そうだったよ。何も変わらないよ。その通りだったよ。それだけでいいよ。と、私はとても素直に、この映画について感じ直すことが出来たのだ。

「僕のスウィング」には、二つの「スウィング」が出てくる。ジプシーギターの「スウィング」と、黒い髪の黒い瞳のジプシーの女の子「スウィング」。その二つの「スウィング」に夢中になっていく、少年マックスの物語なのである。マックスは、スウィングに売ってもらった(ホントは騙されて買ったんだけどね)ギターを抱えて、ロマ人達のトレーラーに通い詰める。そこでジプシー・ギターの名手ミラルドに出会い、ギターの手ほどきを受けていくのだ。

監督はこれまでも数々のロマ人(ジプシー)の物語を撮っている。私の大好きな映画「モンド」もそうである。そこには自身のルーツがあるのだという。この映画にもマヌーシュの音楽が溢れている。毎日の暮らしを吹き飛ばすように、陽気に歌い踊り酔っぱらう彼らのシーンは圧巻で、そのギターの音色にも聞き惚れてしまう。音楽だけじゃない。ロマ人の暮らしぶりや食べ物のこと、薬草の知識や歴史まで丹念に丹念に描いている。そこには監督の「思い入れ」の強さがうかがわれる。「思い入れ」。それは、えてして物語のバランスを欠いてしまうのかもしれない。「スウィング」でさえ二つ同量なのである。とにかく盛り込みすぎて、肝心の「僕の」感が弱まって、エピソードのつながりの悪さを呼んでしまった。

それでもやっぱり、私はトニー・ガトリフ監督が思い出させてくれる「あの感じ」に参ってしまう。そして、それだけでいいんだと思い出す。

手を這う虫の感じや、草むらで寝ころぶ感じ。あの笑い顔や、あの息遣い。好きな人の夢を見るおまじないや、道路を横切るハリネズミ。溢れる音楽や、戯れあう男の子と女の子の、物語をはみ出すような「あの感じ」。楽しそうで幸せそうで、止まることを知らない「あの感じ」。そうだ、この監督はきっと、物語の流れよりもそこで起きる様々な出来事に、目を奪われてしまうのではなかろうか。エピソードの繋がりよりも、今目の前で起こっていることのスバラシサに、目を奪われてしまうのではなかろうか。だから彼の映画の中では、風はホントに気持ちが良く吹いているし、雨は冷たそうだし、太陽は温かいのだ。そして映画の中の彼らは、いつでも本気になって笑い、酔っぱらい、走り、泣き、歌い踊り、カラダを寄せ合って生きているのだ。

そして、その姿を余すことなく伝えようとする、ただそれだけに徹している、トニー・ガトリフという人の心根を、私は心底、美しいと思うのだ。