「ジョゼと虎と魚たち」犬童一心

ジョゼと虎と魚たち(通常版) [DVD]
ジョゼと虎と魚たち」みてきました。

引っ張られるっていうのかな?まだ気持ちが映画の方にあって。戻ってこれないような。良かったよ。と言ってしまうのも違うような。すぐには顔が上げられないような。どこかで後ろめたいような。忘れられなくなりそうな。そんな感じです。

「なんかさぁ、予告とか気になっていたけど、ああいう設定はどうだろう(下手したらすごくイヤな感じ)」という、アナタのメール。すごくよく分かります。私もそう思っていたから。足の不自由な偏屈な女の子(ジョゼ)と、ごくごく当たり前の男の子(恒夫)が出会って、別れていくっていう話。「障害者」と「健常者」の恋の話。どうなんだろって思っていたもの。

こういう事って誰の中にもある。私の中にも「ジョゼ」はいる。誰かと出会って別れた事のある人なら、少なからずリンクされる「痛み」のようなものがある。と、この映画を捉える事も出来るけど。(もちろん、そういう普遍的なものに置き換えても、とても良い映画だと思うんだけど)私はやっぱり、ジョゼの抱えているモノ、引き受けたモノ、その覚悟は一生分からない。分かるとは言ってしまいたくない。分からないまま、彼女を「いとしい存在」として見ていたい。そう思っているよ。

それでも。出会って、美味しいごはんを一緒に食べて、いやらしいことをいっぱいして、別れてしまう。っていう「当たり前」が「きちんと」描かれているからこそ、いいなぁとも思うんだ。ジョゼが、網の上で焼いたお魚はとっても美味しそうだった。出汁巻きも味噌汁もおしんこ煮しめも。そしてそれをはじめて食べた時、恒夫が「おっ!」って、嬉しそうな顔をする所も。

この映画を良いなぁと思う所は、いっぱいある。ジョゼが全部分かっている所。ダメになるって事を知ってる所。恒夫は途中で分かってしまう所。「いい加減、車椅子買えよ」って恒夫に言われても「一生あんたにおんぶしてもらうからいいの」ってジョゼが言う所。ずっと一人で深い海の底に暮らしてきたジョゼが、そうやって我が儘に甘えておぶられている所。何もかも引き受けて、それでも甘えている所。

妻夫木くん演じる「恒夫」が、当たり前にスケベで健康的で、ズルイ所もやさしい所もちゃんと持っている所。きちんと「スケベな男」として、ジョゼに惹かれていく所(別れ方も私は好き、よく分かるから)。池脇千鶴演じる「ジョゼ」が、可愛らしく上手に演じられていない所(上手にそつなく可愛く演じてるんじゃないかと思ってたから)。

ジョゼは、はじめての動物園で虎を見ながら「ほんまに好きな人が出来たら、虎を見に来ようと思ってた、好きな人が出来んかったら、想像の中だけでいいと思ってた」って言うの。

「ジョゼ」って子は、全部そう。自分が「こわれもん」であるって事を引き受けて、「自分」が「自分」でしかあり得ないことを引き受けて。そして想像の中の虎よりも、目の前の恐ろしい本物の虎を見る事を選んでいく。

恒夫がいなくなって、片割れの貝殻みたいに、誰かを探してころころころころ海の中を彷徨うようになる事も、引き受けてる。引き受けて「それもまたよしや」と、言う事の出来るジョゼは、本当に本当にいいなぁと思うのだよ。

だから私は恒夫になって、映画館の中で泣いちゃった。こらえ切れずに。

最後は俺が逃げた

今でもまだ、胸がいっぱいで。もしかしたら、それは時間が経つごとに増えては、苦しくなってる。でもきっと「ジョゼ」は今日も何処かで元気に生きてる。そのことだけは、強く強く確信が出来るから、この映画をみに行って、本当に良かったと思ってるよ。

                  2004-02-10/巻き助