ニッボニアニッボン/阿部和重

シンセミア(上)
今年の夏は「シンセミア」みたいな夏だよなぁ。と、テレビから流れてくるニュースを聞くともなしに聞きながら、阿部和重の「ニッポニアニッポン」を読み終わる。ちなみに「シンセミア」は、とても面白かったのです。単純に見開き一杯もの登場人物が出てくるというだけでワクワクしてしまった。物語が進んで新しい人間が登場するたびに「登場人物一覧」に戻ってその人の役割を確認するという、所作がまずは楽しくて。出てくる人出てくる人誰にも、感情移入することもなく、いやむしろ、全く魅力がなく嫌悪感さえ感じているのに、物語においては夢中になっているという不思議な本だった。地方の田舎の土着の人間達の気味悪さも、そこいら中にちりばめられた複線がピタッピタッとはまっていくのも、どちらも等しく気持ちが良かったし。

ニッポニアニッポン
ニッポニアニッポン」。やっぱり感情移入とは程遠い、自己中心的な引きこもりストーカー男の起こした犯罪の話なんだけれど。トキ抹殺を企てる気持ちの根本的な所に童貞君の逆恨みがある所も、笑ってしまったのだけれど。

いくら繁殖期だからとはいえ、いったい何という強欲な、浅ましい家畜どもであろうか!俺は未だにただの一発もやったことのない、ずぶの童貞だというのに!

読み進めるうちに、引きこもりのストーカー男「鴇谷春生」に胸を打たれてしまった。阿部和重って人は正直(もしくは露出狂)な人だと思った。まさか本当に「ニッポニア・ニッポン問題の最終解決」を遂行すべく進み続けるとは思わなかったのだよ、私は。その頑なまでの不器用さとか、やぶれかぶれの前向きさとか、桜ちゃんに対する立ち切り得ぬ想いとか、それでもトキを捕まえられずたも網をほっぽり出して放心している姿とかに、打たれてしまったのだよ。感情移入とは異なるのだけれど、とにかく打たれてしまったのだ。

お前たちも、運試ししてみればいいさ、運が悪けりゃ、ここへ逆戻り、運が良ければ、とこまでもどこまでも好きに飛んでゆけばいい……。

これから私はきっと、フレディ・マーキュリーの歌う「ボヘミアン・ラプソディ」を耳にするたびに、この小説のことを思い出さずにはいられないんだろうな。