袋小路の男/絲山秋子

袋小路の男

指一本触れないまま「あなた」を想い続けた12年間

いきなり話は脱線して申し訳ないのだが、先日A(夫、魚座のA型。と、いうのとは関係なくAと呼んでいる)とちょっとした喧嘩をした。喧嘩といってもたわいのないもので、彼が酔っぱらってデリカシーのない配慮に欠けた発言をした。そのことを、次の朝思い出して、思い出したらムショーに腹が立ったので、ケータイのメールで私(妻、蟹座のB型)が文句を言ってみた。最初は「悪かったよ、ごめんよ」と返していた彼だけれども、私の思い出し怒りにちょっと拍車がかかって(もしくは、あっさり謝ってきたので調子に乗って)、さらにひとつふたつと文句を続けてみた。そもそも文句を言い出すと、女(私です)というモノは悦に入ってきて、ミョーにテンションが上がるものだ。なんだか常に自分がいろいろと我慢をして、いろいろと遠慮をして、アナタのことをこんなに考えて、こんなに好いたらしく思っているのに、アナタったら!ということになる。そもそもそうなると肝心の「アナタ」もどこか関係なくなって、ヒトリ芝居よろしく完全独白朗々状態は続くのだけれど。大概そういう時は彼からテンションの低い、淡々とした返事が返ってきて目が覚める。「酔っ払いのたわ言を真に受けることもないでしょうに」「酔っ払いは思ってないことでも、ちょっと言ってみたくなるものなの」「被害妄想野郎?」と。その辺りで、私のアタマも冷えてくるというわけ。そうだよなぁ、酔っぱらって適当に喋ったことで、ああだこうだ言われるのも。敵わないよなぁ。なんでもかんでも覚えていて、ああ言ったこう言ったって言われたって「知るか!」てなもんだよなぁ。勝手に解釈して勝手に決めつけて勝手に盛り上がられたって、他人事だよなぁ。何を喋って良いやら、分からなくなるよなぁ。自分で言うのもなんだけれども、私って面倒くさい女だよなぁ。と。それで私の戦闘意欲もあっさり萎えてしまったというわけなのですね。



そんな、男と女のまさにオセロの裏と表のような気持ちのありようを、この人絲山秋子はヒトリで書分けているのだから、まさに見事だ!まさに痛快だ!まさにヒトリノリツッコミだ!最初の物語「袋小路の男」で、美しいなぁやさしいなぁくすぐったいなぁもどかしいなぁ、でも甘すぎなくって地に足がついてるなかなかの恋愛小説だ!と、思わせておいて、その後の物語「小田切孝の言い分」で、そのたった今作り上げた神話を叩きつぶしていくのだから面白い。クールで何事にも動じず淡々と生きているかのように女(日向子)に思わせる男(小田切)の、弱さとか情けなさとか狡さとか。いじらしいと映っていた女のアホさ加減とか、ごくごく当たり前のつまらない女の部分とか、しつこさとか。純愛物語に浸る私たちをを笑うかのように出てくる。エロ投稿写真とか中絶とか浮気のセックスとか。最初は、何も美しいモノ良くできたモノに、わざわざ泥を塗らなくっても。ねぇ。と、老婆心ながら言いたくもなる気持ちで読んでもいたのだけれど、読み進めるうちに、目が覚めた。先日のメール喧嘩事件同様、目が覚めたのだ。そして思った、これって悪くない。と。それら雑多なものすべてひっくるめて、それでも人を純粋に思う気持ちが勝っているぞと。むしろ、スバラシイぞと。泣き笑いを乗り越えて、さらにこの物語の愛おしさが胸に迫った。この人絲山秋子は、なにかとてつもなく強いものを持っているんだろうな。そんな気がした。

日向子はその時、小田切の笑った口の端に刻まれた一筋のずるい皺を見つけた。なんでこんな皺が出来ちゃったのかな、つらいなんてこの人は死んでも言わないだろうけれど、、それは彼のねじけてしまった性格をよく表していた。もっと早く時の運が巡ってきて彼が、才気溢れる若手小説家として注目されて、それで本がベストセラーにでもなっていたらこんな皺なんか作る必要もなかったのに、と日向子は思った。


前作「海の仙人」同様、登場してくる小物がとても良い。音楽の選曲とか、車の選び方とか、住んでる町とか。

好きと決めた相手を、好きと決めてからゆっくりゆっくり目を開いて観察していく様がいい。何かを見つけて嫌いになるでも失望するでもなく、ただやみくもに「好きです」と決めた相手を、少しずつ知っていく過程がいい。その本末転倒ぶりが心地よい。だって女(私です)ってそういうモノだと思うから。充分独りよがりで妄想的で悦に入っているけれども、日向子という女の子が私にはとても愛しく、大きく、うらやましくも思ってしまいました。しみじみと心に残る良い本です。