好き好き大好き超愛してる。/舞城王太郎

makisuke2005-01-26

好き好き大好き超愛してる。
機も熟してきたというわけで(?)、昨日から舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」に取りかかっている。舞城の本を読んでいるというだけで嬉しくてたまらない状態であるワタクシ。朝から中央線の電車の中で「やっぱり好き好き、舞城王太郎、このジャンクな感じがたまんないんだよね」と、ヒトリで確認作業にとりかかる。それでも、大事な誰かが死んでしまう話なんて、もうそろそろいいんじゃないの?いい加減さぁ、ありふれてるし、舞城さんまでしつこくやんなくっても。と、思ってしまうのだけれど、それでも、映画「ヴィタール」を観たりこの本を読んだりしていると「大事な誰かが死んでしまう」って事は、ちっともありきたりでもないし、そろそろいいんじゃない?なんて次元のモノでもないし、どうでも良い事なんかじゃ全然ない。ってシンプルなことを思い出させてくれる。私たちはもっと自分のことで手いっぱいだっていいんだって。


舞城王太郎という人の文章からは、とても悪い事酷い事をしてきた人(もしくは知ってる人)の匂いがするのだけど、意識と言おうか気持ちと言おうか心根は、それらを踏まえて、明るい方全き方正しい方へ向かおうとしているような気がする。そのせいなのか、分からないけど彼が正しい事を「正しい」と言おうとしている姿には、迷いや躊躇いやテレが感じられなくって、そんな潔さみたいなものが私は好きなのだなと思う。そしてその伝え方がとってもジャンクなトコロもたまらない。ウツクシイ言葉をウツクシイメロディーでウツクシク歌い上げるのではなくって、爆音とありふれた言葉とリズムで私に何かを伝えてくれる。爆音が去った後、私の中にはいつも何かが残ってる。


もともと近目で世の中の事がよく見通せない私。世の中の物事にきちんと反応しなくてはいけないよと、頑なに考えているところがあったけれど、それでも、なんだか最後には最終的には、自分の周りの自分の大事な、自分の周囲の人とのことだけ考えていれば、それを大事にしていればオールオッケーじゃねえの?と、思えてもくる今日この頃。あまりたくさんの事は考えられないのでなんだけれども。