この頃の読書

makisuke2006-01-08

沼地のある森を抜けて←年末からかけて読んでいた、梨木香歩さんの「沼地のある森を抜けて」を読み終わる。梨木さんは「家守綺譚」以来とても気になる人になったのだけれど、またひとつスバラシイ作品に出会えたなぁと感謝したくなるような一冊だった。こういう圧倒的な物語力を持つ作品を読んでしまうと、ただただ感心して作品の前にひれ伏すしかない私。「もしかしたらば私にも何か書けるのではなかろうか?」という思い上がりをびしっとたしなめられたような気分で、実に心地よい。そして彼女の本を読んでいると、地球に生きる総ての生き物に思いを馳せてしまう。自分の身の回りがひどく賑やかで鮮やかに見えてくる。目に見えるモノに限らず、目に見えない世界の生き物まで、総てひっくるめて、自分に寄り添い生きているような感覚。自分の足下が、ひどく賑やかで、うすら怖いような。そう、ちょうど映画「ハックル」を見た時のような。あんなざわざわとした気分になってくる。

その昔、はじめて有性生殖をした細胞は、話しかけようとしたんじゃないかな。同じような、でも、少し違う細胞に。何かの働きかけをしようとして、そのとき、人間の使う言葉の代わりに、化学物質を出したんだ、きっと。

この物語は、そもそも「ぬかどこ」が発端になっている。私も朝な夕なに手を入れぐにょりぐにょりと掻き回している糠床を持っている。もちろん愛着もあるのだけれど、こいつを抱えたが最後、生きている間はずっと手入れを怠ることが出来ない厄介なものを抱え込んでしまったなぁという憂鬱な気持ちも幾分かある。梨木さんも、もしかしたらばこの壮大なる物語を思いついた発端が、そんなことだったかもしれないなぁなどと思いながら。